猿の惑星:聖戦記
映画『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:War for the Planet of the Apes 
製作国:アメリカ 
製作年:2016年 
日本公開日:2017年10月13日 
監督:マット・リーヴス 

【個人的評価】
 星 8/10 ★★★★★★★★

あらすじ

高度な知能を得た猿と人類が全面戦争に突入してから2年。猿たちを率いるシーザーは森の奥深くの砦に身を潜めていたが、ある晩、人間たちの奇襲を受けて妻と長男の命を奪われてしまう。敵の冷酷非道なリーダー、大佐への復讐を誓ったシーザーは3匹の仲間を連れて大佐を倒す旅に出る。

ネタバレなし感想

リブートに大成功した凄い猿

SF映画の古典的名作『猿の惑星』シリーズは、何が凄いってその続編のアイディアです。ある意味、続編製作の試行錯誤のお手本みたいなものといっていいと思います。

あんまり書くとネタバレの嵐になるので控えますけど、1作目のネタバレはいいですよね…。あれです、自由の女神、デーン!ですよ。「猿の惑星である未知の星の正体は核戦争で荒廃した未来の地球だった」というオチ。はっきり言ってエンディングの一発ネタなところも否めないものであり、こういう作品の続編を作るとなると製作者は絶対に頭を悩ませます。でも、『猿の惑星』シリーズは結局5作も続いてしまい、毎回毎回あの手この手で続編をくっつけていきました。そのための世界観設定がどんどん上塗りされて大変なことになっていきます。

おそらく“上”からの命令で「続編、作ってよ」と言われて苦労している数多の映画にとって、この「猿の惑星」問題は“あるある”なはず。

しかし、当の『猿の惑星』シリーズは今度は「リメイク」問題に直面するわけです。結果、ティム・バートン監督の『PLANET OF THE APES 猿の惑星』(2001年)は“なかったこと”にされるほど失敗に終わるのですが…。

ところがどっこい、大して休む間もなくさらに難問が…。それは「前日譚」問題です。『猿の惑星』シリーズの前日譚的ストーリーを作ろうという企画。といってもオリジナルと直結するものではなく設定も変わるのでリブートなんですけど、どちらにせよ“荒れます”よね…。実際に製作は難航したようです。

大方の人はそのリブート作品に半信半疑だったはずですが、第1弾『猿の惑星:創世記』(2011年)はなんと意外なほどクオリティの高い作品に仕上げてきたからびっくりです。動物実験など現代的要素を絡めながらちゃんと「猿の惑星」らしいジャンル映画の楽しさとハイブローさを味わえる良作でした。


そして、続く『猿の惑星:新世紀』(2014年)。監督降板があったりと「ああ、今度はダメかな」という私の悲観も吹き飛ばす、これまた良作でした。戦争が起こってしまう群集心理を的確に描いたまたまた「猿の惑星」らしい社会風刺が効いていました。批評家からも高評価。なんなんだ、このリブート。凄いぞ…。


ということでその続編となるリブート3作目の本作『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』

今度はクオリティを疑うつもりもありません。これだけ良作を続けたのですからきっちり締めていただきたい。そして、実際、きっちり締めてくれます。

「『猿の惑星』シリーズ、見たことがないのだよなぁ」とか「難しそうだなぁ」とか、そういう心配はいりません。『猿の惑星:創世記』『猿の惑星:新世紀』を観ていると感情移入が何倍も増しますが、観ていなくてもわかるつくりになっています。

エンターテインメントとしても一級に面白く、かつSF的な視点からの社会風刺もある…楽しみがいの多い作品ですので、ぜひ鑑賞してみてください。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

猿とミックス

同じく今年に公開されたキングコング 髑髏島の巨神は、往年の名作『キングコング』にこれまた戦争映画の傑作である『地獄の黙示録』を組み合わせて全く新しい作品を作り出すことに成功していました。このミックス・リブートとも言うような手法は昨今のハリウッド映画のトレンドなのかもしれません。

そして偶然にも『キングコング 髑髏島の巨神』と同様に「猿」が大活躍する『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』でも、過去の名作をミックスさせる巧みさが本作の決定的な魅力の理由になっていると思います。しかも、前・中・後でそのミックスさせている要素がガラッと変わるのが特徴です。

まず冒頭、ヘルメットの後頭部に猿への殺意を書きなぐった兵士たちの後ろ姿で始まり、そのまま森にあるシーザーが率いる猿たちの塹壕で大激戦が繰り広げられるシーンは、もろに戦争映画、とくにベトナム戦争を連想させます

それで中盤になると、意外や意外、西部劇風のスタイルに変身するんですね。シーザーが仲間を引き連れて、道中で人間の少女ノバや動物園出身のバッド・エイプを加えながら馬に乗って旅をしていくさまは『捜索者』(1956年)や『アウトロー』(1976年)のような西部劇ではよくある光景。わざわざこのシークエンスではシーザーたちの武器は銃にしており(序盤の森では原始的な武器を使っていたのに)、徹底しています。そういえば少女を連れて西部劇風といえば今年はLOGAN ローガンもありましたね。

続く人間のリーダーである大佐がいる「人間動物園」に到着してシーザーが捕まると、今度は宗教映画に早変わりです。というのも、シーザーは独断行動のせいでいったんは仲間から蔑まれるわけですが、そこから身をていして仲間のために食料と水を要求し、最終的に仲間から改めて畏敬を得ることになります。これはイエス・キリストですね。ご丁寧にシーザーは十字(Xだけど)で磔にまでされるのですから。

他にもシーザーと大佐の関係が『戦場にかける橋』(1957年)を匂わせたり、それこそ大佐の狂人な支配っぷりは『地獄の黙示録』でした。脱獄シークエンスはもろに『大脱走』(1963年)ですね。

猿だからこそのドラマ

これだけわかると普通に観ているだけだと「ああ、いろんな名作のオマージュがいっぱいで楽しいな~」くらいで終わるんですが、実はここに本作の脚本の秀逸さが隠れていると思います。

本作は知ってのとおり1作目の『猿の惑星』につながる話です(厳密には設定が違うのでストレートに物語が接続するわけじゃないけど)。つまり、最終的に人間が消えて猿だけになるというオチにしなければいけない。どうやって「猿の惑星」になるのか…ここが脚本の腕の見せどころです。

それをリブート第1作『猿の惑星:創世記』と第2作『猿の惑星:新世紀』と続けて見せてきたわけですが、この1作目・2作目はわりと猿側の進化の凄さを示す物語だったといえるでしょう。シーザーがどんどんしゃべれるようになるくだりなんかはとくにその進化を表す印象的な場面でした。

しかし、本作は猿たちはもう進化しきっており、進化の凄さを示すわけにはいきません。そこで本作は猿たちに人間の歴史を疑似体験させているんですね。

先に説明した本作とミックスしている名作の題材を思い出してほしいのですけど、「ベトナム戦争→アメリカ開拓時代→イエス・キリスト時代」のような順番になっています。つまり、猿たちは“人間の過去にさかのぼっていく”のです。これは別の言い方をすると、人間の愚かな歴史を巻き戻しで再生しているわけで、その結果、“猿の惑星になる”

いやぁ、これ以上の完璧なドラマ的なロジックはあるのかというくらいの見事さだと私は感心しました。これぞ「猿の惑星」的なSFですよね。

対する終盤に登場した大佐側を攻めてきた人間軍勢の描写。全体的に白で顔を隠している感じが『スター・ウォーズ』のストームトルーパーっぽいです。これは彼らが「人ならざるもの」になったことを暗示させているともとれますし(口がきけないのもなおさら)、既存の歴史にはない未知の未来を進んでいるとも解釈出来て味わい深いです。人間の歴史をさかのぼる猿とは真逆なんですね。

これが本作の主人公が「猿である意味」でしょう。「ベトナム戦争→アメリカ開拓時代→イエス・キリスト時代」を一度に担える人種はいません。それができるのは人類の根源である「猿(エイプ)」だけなのです。

猿の惑星:聖戦記

猿だからこその演技

本作、ほかにも凄いなと思った点があって、「猿」なんですよね

いや、何言ってるんだという感じですが、メイン登場キャラクターのほとんどが「猿」なのが凄いという話です。

だってね、皆さん、映画館に行けば俳優の顔がデカデカとのったポスターがズラッと並んでいるじゃないですか。映画っていうのは俳優という材料で観客を誘引するものですよ。俳優目当てで観に来るとか、観るきっかけになる人はたくさんいます。

でも、本作は猿ですよ。ポスターに写るのも猿です。客、呼べません。

しかも本作は前作以上に猿たちが主役のストーリーになっているわけで、劇中でも基本的に猿、猿、猿

この構成は、既存の商業的映画のあり方に喧嘩売ってますね。喧嘩は言い過ぎかな…でも異質なのは間違いありません。

だからといって興味を惹かれないかというとそうではない。むしろ猿たちのドラマ、もっといえば演技・表情にグっと心を持っていかれるわけです

シーザーの苦悩と最後の救われた顔、最高でした。オランウータンのモーリスのしゃべった瞬間、感動でした。ロケットの捨て身の雄姿、カッコよかった。少女に花をあげるルカ、イケメンゴリラでした。バッド・エイプ、こいつはあれです、猿にも多様性があるんだなと思いましたね。猿の中にも“猿っぽい”奴っているんだなと。こういうエイプ・コミュニティの多様性は前作にはなかったので新鮮。

とまあ、これらの猿たち、知っている人も多いと思いますが、本作の猿たちはCGではありますが、表情は人間の役者のものをトレースしています。つまり、観客が本作を観て猿の演技に心を持っていかれるということは、「この俳優好きだから」とかそういう先入観的なノイズはゼロで純粋に“演技”に魅了された証拠でしょう。これって凄まじいことじゃないですか。あらためて役者ってすごいんだなと痛感です。そりゃあ、シーザーを演じた“アンディ・サーキス”に主演男優賞をあげたくなりますよ。

こんな感じで脚本と演技に圧倒されつつ綺麗に終わった本作…と思ったら、なんか4作目も企画されているとかないとか…。どうなるんだろう、次…。ともかくこれだけ成功したんですから、次もやってくれるでしょう。期待してます。

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