悪魔の花嫁
映画『悪魔の花嫁』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Tulen Morsian(Devil's Bride) 
製作国:フィンランド 
製作年:2016年 
日本では劇場未公開:2017年にNetflixで配信 
監督:サーラ・カンテル 

【個人的評価】
 星 6/10 ★★★★★

あらすじ

1600年代、オーランド諸島の小さな村。ここは昔ながらの伝統が息づく地域だったが、国王の命令で赴任してきた判事と教会の陣営はそれを不気味な魔術だと嫌っていた。そして、薬草に精通しており、代々から村人の出産や治療に立ち会ってきたバルボリの娘であるアンナの行動が、悲劇を拡大させてしまう。

ワルプルギスの夜

スウェーデンとフィンランドの間にあるバルト海にぽつんと位置するオーランド諸島は、複雑な歴史を経てきた地域です。もともとはスウェーデン王国に帰属していましたが、1809年にロシア帝国との戦争に敗れたことからフィンランド大公国の一部としてロシア領となりました。その後、独立の機運が高まり、1921年、オーランド諸島のフィンランドへの帰属を認められ、さらにオーランド諸島の自治権が強化。結果、オーランド諸島はフィンランドの自治領となり、今に至ります。

そんな歴史のなかで独自の文化を維持してきたオーランド諸島では、4月30日は「ワルプルギスの夜」という祭日になっています。ケルト文化に出自のあるこの行事は魔女たちが宴を催す日とされ、北欧やドイツでも見られます。

その魔女にまつわるある悲劇がオーランド諸島では過去に起きていました。それは1666年。何十人もの女性が有害な魔術を使ったとして処刑されたのです。いわゆる「魔女狩り」です。このオーランド諸島の魔女狩りは非常に有名で、これをきっかけに他の北欧地域にも魔女狩りが広がったと言われており、北欧初の大規模な魔女狩りとしてまさに悲劇の始まりの地といえます

このオーランド諸島の魔女狩りを描いたフィンランド映画が本作『悪魔の花嫁』です。実名も出していますし、結構、史実に沿った描き方をしている作品なんじゃないのでしょうか(まあ、しょせん魔女狩りに無学な私の感想ですけど)。

役者陣の名演もドラマを引き立てています。なかでも登場人物のひとりで重要なキャラであるバルボリを演じた“カイヤ・パカリネン”という女優は、本作によってフィンランドにおけるアカデミー賞に相当する映画賞(Jussi)で助演女優賞部門にノミネートされているほど。

歴史ドラマとして見ごたえのある作品ですので、魔女狩りの歴史に興味がある人はぜひ観てみてはどうですか。






↓ここからネタバレが含まれます↓





判事の魔女狩り

さすがにわかっていると思いますが、「魔女狩り」について念のため初歩的な説明をしておくと、本当に魔術を使った“魔女”がいたわけでは当然ありません。ドクター・ストレンジみたいな魔術使いがいたら、あんなレイプ牧師野郎、一瞬で打ちのめせたのに…。

魔女狩りは長い歴史があるので一概に語るのは不適切ですが、ざっくり言ってしまえば中世末のヨーロッパで権力化したキリスト教社会が、いわゆる集団ヒステリーを起こした結果と言われています。

本作では、オーランド諸島の魔女狩りが、地域に元来ある伝統文化への疑心暗鬼から少しずつ生じていく過程が丁寧に描かれていました。

魔女狩りを起こしてしまう側の視点となるのが判事です。お告げで犯人探しをしようする村人に怪訝な感情を抱いた判事は、母が倒れたことでその不信感を決定的に強めます。寝たきりの母を村伝統のおまじないと薬草の知識で治療していくバルボリと娘のアンナに不安はMAX。最終的には、ろくな証拠もなしに強引な裁判で多くの女性を火刑にしてしまいます。

そんな判事を煽るのが教会の人間。村の女性をレイプする常習犯の牧師といい、陰湿さが実に嫌な感じでした。

あの牧師が罰を受けないのは残念ですが、それが史実なのだから、負の歴史の重みを噛みしめるしかないですね。

悪魔の花嫁

アンナの魔女狩り


本作では、もうひとり魔女狩りを起こしてしまう側の視点を担う存在がいます。それが村の少女アンナです。

私が本作で良くできていると思うのは、魔女狩りに対する中立的かつ批評的視点。普通、この手の映画はスポットライト 世紀のスクープのように、被害を受ける側と教会側の対立軸で構成されるものです。普通は教会側を悪に描きます。

しかし、本作は宗教・権力・男性主義の凶悪性ばかりを一方的に描いているわけはありません

恋に憧れる普通の少女のアンナは、エリアスという男に夢中になります。その男にはラケルという妻と生まれたばかりの子がいるにも関わらず、地域伝統のおまじないを話題に出して諦めようとしません。「それは愛ではなく情欲というものよ」という養母バルボリの言葉も聞かず、友人にさえもひどい言葉を浴びせてしまうほど暴走していくアンナ。そして、ついに邪魔なラケルについて、判事に「あの女は魔術を使っていた」と偽証する始末。

地域に元来ある伝統文化と無邪気な少女の恋心が合わさって、魔女狩りが拡大してしまいました。

つまり、本作は安易に「宗教=悪」とせずに、魔女狩りが起こる本質的な理由を描いているといえます。それは「盲信」、そして「沈黙」です。どんなことであれ、盲信と沈黙は危険を招きます。そういえば、村では牧師のレイプを知っている人もいたのに、これもまた沈黙するばかりで、被害女性が酷い目に遭っていました。

ラストのアンナの処刑は、史実的というよりは「盲信と沈黙する全ての人への罰」を表現した映画的なメッセージな気もします。

自分を疑うことも大事ですね。