スリー・ビルボード
映画『スリー・ビルボード』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri  
製作国:イギリス 
製作年:2017年 
日本公開日:2018年2月1日 
監督:マーティン・マクドナー 

【個人的評価】
 星 9/10 ★★★★★★★★★

あらすじ

米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく。

ネタバレなし感想

予測不可能な面白さ

2016年は『ラ・ラ・ランド』と『ムーンライト』の2強と言われたアメリカ映画の賞レースですが、2017年は絶対王者がいないことで混戦を極めており、予測不可能です。そんな中で、先に発表されたゴールデングローブ賞のドラマ部門で作品賞に輝いて一歩前に進んだのが本作『スリー・ビルボード』でした。

原題は「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」という舌を噛みそうなタイトルなのですが、その名のとおり、ミズーリ州にある架空の田舎町エビングを舞台に、3つの広告看板から端を発する物語となっています(ちなみに実際の撮影地はノースカロライナ州)。

といっても、この映画は非常にストーリーの説明が難しくて困ります。別に難解ではありません。むしろキャラクターはアホなくらい単純明快です。原因はシナリオでしょう。

本作の監督は“マーティン・マクドナー”という人。日本ではあまり有名ではないですけど、映画のキャリアとしてはすでに名をあげていて、初期監督作の『ヒットマンズ・レクイエム』で脚本賞をとったこともあります。つまり、シナリオづくりが得意な人なんですね。もともと映画の世界に入る前は、劇作家として高く評価されていて、物語創造の経験はじゅうぶんある人物でした。

“マーティン・マクドナー”監督の作品のシナリオには一貫した特徴があります。ネタバレにならない程度に私なりの言葉で表現するなら、それは「予測不可能なストーリーで観客を弄ぶ」という感じでしょうか。

例えば、監督1作目の『ヒットマンズ・レクイエム』は殺し屋の二人組の話で、街で騒動を起こすのですが、これがサスペンスになったり、コメディになったり、アクションになったりと終始落ち着かない。最後は「えっ!?」というような流れに持っていくのです。続く2作目の『セブン・サイコパス』はもっとヘンテコな話で、アイディアに困っていた脚本家がサイコパスからリアル体験談を募集してやっぱり騒動を起こすのですが、完全にメタ的ですらあります。こちらも最後は「えーーーっ!?」というような流れに持っていき、個人的にはさすがにこれはハチャメチャすぎると思ったりもしました。

予測不可能なストーリーを得意とする監督といえば、クエンティン・タランティーノが挙げられますが、彼のようなシネフィルな感じではないのですよね。純粋に脚本で勝負しているだけ。いずれも暴力に溢れる作品でありながら、シリアスにはせず、逆に笑わせてきたりします

なんでも“マーティン・マクドナー”監督は、北野武監督の大ファンだと告白しており、どうせお世辞的なやつだと思ったら、ガチのファンみたいです。確かに過去作に北野武監督作を見ているシーンがあったり、ヤクザについて言及したりと、目配せが意味もなくありました。「暴力+笑い」の予測不可能さは北野武由来だったんですね。ただ、劇作家時代から“異常な人”を主人公にするのが好きだったようでもあるけど。

ともかくこの映画の一番の魅力はちゃんと“エンタメとして最高級に面白い”ということです。今年の見逃せない一作でしょう。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ボタンの掛け違い(延々と)

広告というものは本来、それを見た人の行動に特定の狙いを持った影響を与えるために使われる手法です。「〇〇〇が新発売!」とあれば、その商品を買わせたいことは一目瞭然です。

では、「レイプされて殺された」「犯人逮捕はまだ?」「なぜ? ウィロビー署長」と3つの看板に“広告”を出したミルドレッドにはどんな狙いがあったのでしょうか。それは、全く事件解決に結びつきそうにない地元警察への不満を表明したかったからです。重要なのは事件解決が直接の狙いになっていないことですよね。捜査を進めたいのであれば「娘がレイプされて殺されました。犯人の手がかりとなる情報があれば連絡ください」という広告でいいはずですから。

娘を殺された母のミルドレッドの心には、犯人よりも警察への怒りの方が大きくなってしまっている。このズレが映画の始まりとなります。

これで警察が実際に捜査を怠慢でさぼっているのであれば、この広告は意図した効果を発揮したはずでしたが、実際の警察は割とマジメに捜査していました。署長のウィロビーが「どんなに頑張っても手掛かりがなくて未解決になる事件もある」と言っているとおり、遺族にとって不条理ですがこれも現実です。

そして、この映画の面白い部分はこのズレが「ミルドレッド ⇒ ウィロビー」という流れ以外にも発生している点です。『スリー・ビルボード』というタイトルのとおり、いろいろな三角関係が登場します。「ミルドレッド・夫・息子」や「ミルドレッド・娘・息子」といった家族の関係。ミルドレッドは娘に対して事件の日に「レイプされてしまえばいい」と言い放っているように、あまり理想的な母親ではありませんでした。そのためか娘の死への自責の受け止め方も家族メンバーで違っており、このズレが火種になります。

警察絡みだと「ミルドレッド・ウィロビー・ディクソン」の関係がまたややこしいです。粗暴なディクソンはウィロビーの自殺後に復讐するわけですが、その相手は広告業者のウェルビーでした。意外にもミルドレッドではないのです。そして、ミルドレッドはその報復として結果的にディクソンを傷つけてしまう。ズレズレです。

本作はいわゆる「ボタンの掛け違い」が延々と起き続ける作品で、ゆえにストーリー展開の予測が難しくなっていきます。「忖度の失敗」や「ミス・コミュニケーション」でもありますね。

終盤、ついにディクソンらしき男を突き止めてやっとボタンが正しくとめられると思ったら、これもまた犯人ではなかったというオチ。それでもミルドレッドとディクソンは「そいつは悪い奴には変わりない」というこれまた根拠なき推察で殺しにいこうとします。また大きすぎるズレが…というところで、二人はあんまり乗り気じゃない様子。「道中で決めればいい」…かすか希望が残るエンディングでした。

スリー・ビルボード

皆、良い奴だった

本作はシリアス一辺倒にならず随所にユーモアを混ぜていきます。これぞ“マーティン・マクドナー”監督の得意技です。「ボタンの掛け違い」をコミカルに表現してきます。個人的にはこういう暗い話に笑いがトッピングされている作品は大好物なので大いに満喫しました。

その脚本の魅力を最大限に発揮しているのはもちろん役者陣の怪演によって引き立てられるキャラクターです。正直、登場する全てのキャラクターが皆、良すぎるので語り尽くせないですよ。

本作の主人公で“フランシス・マクドーマンド”演じるミルドレッド。『エル ELLE』の主人公を思い出させる、非常に独立した強い女性キャラでありながら、アメリカの田舎らしい粗暴がもう怖い怖い。遺族なのにこうもエキセントリックだと、全然同情してあげようという気をなくしますよね。まあ、彼女は同情なんていらないのでしょうけど。男女問わず、股間蹴りできる人は個人的に尊敬します。
『エル ELLE』感想(ネタバレ)…衝撃すぎて、もう頭がヴァーホーヴェンです
次に“ウッディ・ハレルソン”演じるウィロビー。これは署長に“ウッディ・ハレルソン”を起用した時点でのミスリードですよね。彼のこれまで演じたキャラは割とトリッキーな性格のやつが多かったと思うのですが、本作はびっくりするぐらい純粋な家族想いのパパです。家族だけでなく、警察やミルドレッドにさえ愛がある、ほぼ聖人君子でした。『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』でもこれぐらい良いキャラだったらね…。

そして、出ました“サム・ロックウェル”演じるディクソン。本作におけるトリックスターです。もうどうしようもないくらいアホで、暴力的で、無能なんですが、それが終盤で大活躍を見せる展開は私のテンションもアップ。“マーティン・マクドナー”監督作品を見ていると、一番クズな奴が最後に活躍するのが鉄板なので、今作も予想がつくといえばつくのですけど、やってくれました。人によってはあんな手紙だけで急に良いキャラになるのは無理があると思うかもしれませんが、別にご都合主義的にキャラが善人化しているわけではないのです。実は最初から一貫して彼の性格は変わっていません。愛聴しているのがABBAの「Chiquitita」ですし、根はすごく良い人。マザコンというよりはワスプ・マザーが原因ですよね。ディクソンにとってウィロビーは父であり、そしてラストはミルドレッドという新しい母を見つけた…疑似家族形成の物語ともとれます。

結論、皆、良い奴なんです。

アメリカの縮図を緩く描く

本作はただ予測不可能なストーリーとキャラクターを楽しむだけでなく、背景にはアメリカの社会が抱えている問題が見え隠れしているのも評価の理由です。

例えば、序盤でミルドレッドが家に来た神父に話す責任の範囲の話。これは『スポットライト 世紀のスクープ』でも題材となったカトリック教会の聖職者による児童への性的虐待問題でしょう。また、ミルドレッドが「警察は黒人いじめに忙しくて本当の犯罪を解決しない」と発言するくだりは、2014年にミズーリ州で丸腰の18歳の黒人が白人警官に射殺された事件を意識してのことのはず。さらに終盤で浮上する容疑者の男が実は海外に派遣された米兵だったというのは、イラク戦争の兵士がレイプをしていたという実際の事件を連想させます。

そもそも本作は完全に西部劇のフォーマットにのっかった現代田舎復讐劇ですからね。アメリカそのものです。

ユニークなのは、だからといって「本作はアメリカの社会問題がテーマです!」と声を大にするほどのウェイトはないということです。ポリコレ的な正しさの押しつけもない。今や欠かせなくなりつつある多様性さえも弄んでいる感じさえします(小人症のキャラは『ヒットマン・レクイエム』からの流れですね)。

なのでアメリカに疎い日本人も普通に楽しめます。

これはきっと“マーティン・マクドナー”監督がイギリス人だからこそ、アメリカを客観視できるのでしょう。『女神の見えざる手』 でも脚本家がイギリス人でアメリカを客観視した作品を作りだしていましたが、ひとつのトレンドなのかもしれません。
アメリカの縮図を表現した綿密な脚本と言いたいところですが、おそらく“マーティン・マクドナー”監督はそこまで用意周到に計算しているわけじゃないと思います。監督はインタビューで「本作は、アメリカ旅行中に見かけた看板からインスピレーションを得て、ひとりの母親が看板を掲げるというアイディアだけで書き始めたので、どんな展開になるか自分でもわからなかった」と言っているぐらいです。おそらくどういうオチにするかとか決めずにノリで脚本を書いていく直感型タイプの人なんでしょう。これによって生まれるある種の緩さがオリジナリティになってます。

本作がアメリカで評価されている背景を見ると、露骨なポリコレを嫌う動きが映画界でも生まれてきているのかもと邪推したくなります。もうポリコレだけを掲げる映画は時代遅れなのか…映画の売り方も広告と同様に工夫を凝らさないといけませんね。

本作が気に入った人は、他の“マーティン・マクドナー”監督作をぜひ観てみましょう。

↑『ヒットマンズ・レクイエム』は、コリン・ファレルの変顔が面白い。

↑『セブン・サイコパス』でも、サム・ロックウェルが大活躍というか大暴走。

↑ オレンジジュースをどうぞ

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