T2 トレインスポッティング
映画『T2 トレインスポッティング』(トレインスポッティング2)の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:T2 Trainspotting 
製作国:イギリス 
製作年:2017年 
日本公開日:2017年4月8日 
監督:ダニー・ボイル 

【個人的評価】
 星 7/10 ★★★★★★★

あらすじ

かつて仲間たちを裏切って大金を持ち逃げしたマーク・レントンが、20年ぶりにオランダからスコットランドに戻ってくる。そこでは、パブを経営しながら売春や恐喝で荒稼ぎするシック・ボーイや家族に愛想を尽かされたスパッド、刑務所に服役中のベグビーら、当時の仲間たちが未だに悲惨な人生を送り続けていた。

ネタバレなし感想

帰ってきたアイツら

イギリスは「上流階級・中流階級・労働者階級」に大別される階級社会であるというのはイギリスを語るうえで欠かせない要素ですが、当然、イギリス映画もどの階級が描かれているかは重要です。『007』シリーズのような気取った上流階級世界をエンタメ化した作品もいまだに人気であり、私も大好きですが、やはり昨今の流行は労働者階級を描いた作品のような気がします。わたしは、ダニエル・ブレイクといった社会派ドラマ作品から、『キングスマン』といったエンタメ作品まで、多種多様です。

そんな労働者階級を描いた映画の中でも、前衛的存在というか、独自性を全開にして大ヒットした作品が1996年の『トレインスポッティング』でした。

『トレインスポッティング』は、スコットランドで暮らす愉快なジャンキーの物語…といってしまえば、ずいぶんお気楽な映画に思えますが、内心では労働者階級特有の“抜け出したくても抜け出せない”蟻地獄のような社会構造でもがく若者がよく表現されていました。これだけでも世界中にいる同じような境遇の持たざる者に共感を与えられる作品です。

しかし、この作品はそれに加えて、それが“ダニー・ボイル”監督の持ち味であるドラッグ的な映像と音楽の合わせ技で繰り出されるという追加効果があって…。ヘロイン中毒を描く映画でありながら映画自体がドラッグみたいであり、1990年代ポップカルチャーを象徴する作品として当時の大衆を魅了したのも、そのドラッグ的中毒性の高さゆえでしょう。

その『トレインスポッティング』の20年ぶりとなる続編で、ストーリー上でも20年が経過した主人公たちを描く作品が本作『T2 トレインスポッティング』

正直、最初は「また最近の潮流である続編・リメイクのあれか…」とややローテンションで眺めてましたが、これが観てみたら今の時代だからこそグサリと突き刺さる話になっていて…。前作が好きな人であればあるほど心揺すぶられる物語であり、かつ単なるファンムービーで終わってないのに関心してしまいました。スティーブ・ジョブズに続いて、“ダニー・ボイル”監督、凄いな…。ちゃんと前作の例のトイレ並みに汚いシーンもあったりと、前作のドラッグ映像もパワーアップして引き継いでいるのも嬉しいところ。

かつてあの映画でアイツらに魅入られた人で、続編となる本作を観ていないなら、必見です。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ノスタルジー依存症

前作はヘロイン中毒に溺れる若者たちを描いており、このドラッグから抜け出せない怖さと労働者階級から抜け出せない怖さが重なっているのが特徴でした。

そして、今作も「中毒」が描かれています。ここで主人公たちが中毒になってしまうのは何かというのが本作の面白いところです。もちろん、相変わらずヘロインも登場しますが、ある意味それよりもはるかに恐ろしいものに主人公たちは中毒になっているんですね。

それが「ノスタルジー」です。

劇中でベロニカが言い放つとおり、主人公たちは「過去に生きてる」状態です。前作で大金を手に入れたレントンさえも、結局は過去から逃れられないかのようにエディンバラに舞い戻ってきます。その後も、サイモンと一緒に語るのは過去の話ばかり。ベグビーにいたっては過去を復讐心に変えてしまいます。

これはある程度の年齢以上の人にはグサグサ刺さることですよね。ついつい「昔は良かったなぁ」とか何でもかんでも昔と比較するような発言をしがちですから。

ダメダメな面々の中でも、スパッドだけはちょっと違いました。自伝的小説を書くことで過去をフィクションにしていました。これはノスタルジーの最も堅実な利用方法なのかもしれません。

本作のラスト、レントンが昔、聴いていた曲とともに子どもの頃のベッドルームで踊りだすと、部屋が電車のようにグアーとどこまでも続いていく演出。無限に続くノスタルジーを連想して、好きなシーンです。

T2 トレインスポッティング

人生は選べなかった世代

そんなヘロインやノスタルジー中毒の自分たちを弁護するかのように、現代人だってネットやSNSに中毒じゃないかと怒りをぶつけるシーンがありますが、これはそのとおり。世の中、どんな人間も何かの中毒です。

じゃあ、なぜレントンたちだけがここまでどん底なのか。印象的なのが、前作で未成年ながら平然とセックスをしていたダイアンという女の子が、20年後の本作で弁護士として働いている事実です(まあ、彼女も表面上は立派な肩書を掲げていますが、いまだに裏で毎週乱交パーティとかしているかもしれないけど)。同じ境遇にいるように見えたのに、一体何が人生を分けたのか。

その理由は劇中でもレントンが言うように、問題なのは中毒であることではなく、「人生を選べない」こと。厳密にはレントンたちは「人生を選べなかった」世代なんですね。原因はいろいろあるでしょう。生まれかもしれないし、学歴かもしれないし、運かもしれない…とにかくレントンらは人生を選べなかったのです。

そして、今の時代は「人生を選べなかった」世代の存在すらいなくなりつつあるのがなんとも皮肉。つまり、レントンたちは労働者階級の社会からさえも孤立しつつあります。だから、本作は前作以上になんか寂しく感じました。「人生を選べ」が自分たちにだけ通用しないことをレントンが叫ぶシーンは本作の最も切ないシーンでした。

それでも選べる唯一のもの

本作には一応原作がありますが、ストーリーは全然違います。

映画である本作のオリジナリティを際立たせるのは、原作にはないベロニカです。彼女の存在が本作に「世代交代」の要素を追加しています。これも最近の映画の流行ですね。

彼女以外にも、本作ではベグビーが自身の息子に「俺がガキの頃は選択肢なんてなかった」「お前は俺たちを越えろ」と言葉をかける、彼の人生を考えると涙腺を刺激されまくるシーンも良かったですが、やはりベロニカの存在が印象に残ります。

中小企業向け融資の大金を持ち逃げしたベロニカ。これは前作でレントンが仲間を裏切って大金を持ち逃げした展開と対比すると、本作における裏切り者という立ち位置ともとれますが、前作と違って露骨に裏切り者という扱いにはなっていません。これは次の世代に「託した」と言っていいでしょう。

しかも、ベロニカは移民ですから、託す相手としても非常に現代的な意味の大きい選択です。ベロニカに子どもがいることからも、世代交代を何重にも強調します。

「人生を選べなかった」と自虐するレントンたちですが、唯一選べることがありました。それは「自分の人生を託す相手」なんですね。

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