聖の青春
映画『聖の青春』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:聖の青春 
製作国:日本 
製作年:2016年 
日本公開日:2016年11月19日 
監督:森義隆 

【個人的評価】
 星 6/10 ★★★★★★

あらすじ

幼い頃から腎臓の難病・腎ネフローゼを患い、入退院を繰り返した村山聖は、入院中に何気なく父から勧められた将棋に心を奪われる。師匠との出会い、そしてプロ棋士として羽生善治ら同世代のライバル棋士たちと死闘を繰り広げ、まさに命を削りながら将棋を指していく。


デスノートなんか目じゃない

怒涛の連勝で新記録を更新中の中学生の“藤井聡太”将棋棋士が、ワイドショーでこぞって報じられるなど、日本の将棋人気は根強いです。統計によれば、日本の将棋人口は囲碁のほぼ2倍で、年次変化はだいたい横ばい、10代と70代で多いようです。ティーン世代と高齢世代がクロスする趣味というのはなかなかない気がします。

映画の世界でも将棋を題材にした映画が連続しています。2017年は前編と後編に分けて公開された『3月のライオン』。そして、その前の年である2016年は本作『聖の青春』です。

本作は、1969年に広島県で生まれ、「羽生世代」と呼ばれる棋士の一人として大活躍するも、29歳の若さで亡くなった“村山聖”の半生を描いた一作。私は全然将棋をしたこともない無知な人間なので、“村山聖”という人間ももちろん知りませんでした。映画の良いところは、こういう自分とは違う世界にいる人の存在を知れることですね。

本作で主人公となる“村山聖”を演じたのは“松山ケンイチ”。ライバルである“羽生善治”を演じたのは“東出昌大”。偶然にも新旧『デスノート』映画で重要な役を演じた二人となりました。デスノートで対決はしませんが、本作では緊迫感ある心理戦を展開します。デスノート Light up the NEW worldで見たかったのはこういうのですよ…。

ちなみに「聖の青春」は2001年にドラマ化されていて、こちらでは“村山聖”を『デスノート』の夜神月を演じた“藤原竜也”が熱演してます。なにかと「デスノート」役者に縁ある作品ですよね。やっぱり「デスノート」と「将棋」は心理戦なので、それを演じられる俳優は限定されてくるのだろうか…。

将棋がわからなくても面白い作品です。本作を観て将棋に興味を持つ子どもが増えるといいですね。






↓ここからネタバレが含まれます↓





イタキス読んだことあります?

本作はまず冒頭がすごく良いと思います。ゴミ置き場に村山聖が死体のように転がっているのを目撃する普通の近所のおじさん。後に村山聖が亡くなることを考えれば相当不謹慎というか、ぶっとんだ始まりですけど、掴みはバッチリです。その後に将棋会館に村山聖を連れて行ったおじさんは、一心不乱に将棋に打ち込む人たちを見て呆然。まさに“プロの世界”と“一般人の世界”の境界を表す演出であり、“ここからはプロの世界ですよー”と映画が観客に示す、素晴らしい導入でした。

本作の大きな魅力はズバリ「BL」です。そこを楽しめるかどうかで本作のハマり方が桁違いに変わってくると思うほど。

この映画における村山聖と羽生善治の関係性は、作り手が完全に狙ってやっているとしか思えないくらいベタベタすぎます。感情的に動く村山聖に対して、クールに動く羽生善治。趣味は少女漫画という女性らしさを出す村山聖に対して、チェスの羽生善治。落とし穴が見え見えです。こんなわざとらしい穴なんてあるかと笑いながらも、まんまとハマる快感。本作の醍醐味です。

とくに定食屋での会話なんてニヤニヤもんです。「趣味が合いませんね」とかお見合いにしか見えない。

そもそも本作は昨今の邦画ではびっくりするほど女っ気がゼロ。めちゃくちゃ失礼ですけど正直あの二人はセクシュアリティーとは無縁なわけで、もっといえば社会的協調性もだいぶ違う人じゃないですか。将棋という手段でしか交流ができない。ゆえにあの二人が通じ合うのは当然なのです。

そんな二人を演じた“松山ケンイチ”と“東出昌大”は完璧でした。こういうちょっと社会とズレた人物が適任の役者ですね。

聖の青春

「ない」

本作は難病の余命宣告モノなのですが、それをあまり感じさせません。終盤で村山聖が亡くなってあらためて「ああ、そういえば余命モノの映画なんだよな」と感じたくらいです。

これは闘病という過程を将棋の闘いに投影しているからなのでしょう。表向きは将棋しているだけです。

この手のスポーツ映画は勝ち負けのロジックがはっきりしてほしいと私は思ってます。でも、本作は「将棋=闘病」なので、勝ち負けのロジックが別のところにある作品です。自分との闘いがメインでした。

そうやって考えると印象深いのは、アンケート用紙みたいなものにあった設問「将来、プロ棋士がコンピュータに負けることがあると思いますか?」に「ない」と回答するシーン。でも、皆さん、しょっちゅうニュースになっているとおり、今はプロ棋士とコンピュータが頻繁に対決し、プロ棋士はコンピュータに敗れているのは承知の事実。

では、病気で最期は当然亡くなる村山聖は、“病気に負けた”といえますか? おそらく彼の「ない」はそういう意味なのではと私は感じました。コンピュータに執念はありませんが、棋士は体にエラーが出ようとオーバーヒートしようと執念で“向き合う”。絶対にコンピュータには到達できない世界なのです。

プロの世界、垣間見させてもらいました。

(C)2016「聖の青春」製作委員会