マイ・ハッピー・ファミリー
Netflix映画『マイ・ハッピー・ファミリー』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:My Happy Family 
製作国:ジョージア 
製作年:2017年 
日本では劇場未公開:2017年にNetflixで配信 
監督:ナナ・エクチミシヴィリ、ジーモン・グロス 

【個人的評価】
 星 9/10 ★★★★★★★★

あらすじ

コーカサス地方にある小国ジョージアで教師として働く2児の母マナナ。家にいるのは、口うるさい実母、物静かで大人しい実父、気配りの全くできない夫、パソコンばかりな息子、彼氏とべったりな娘。そこにマナナの居場所はなかった。そして、52歳の誕生日に、三世代同居の家を出て1人で生活すると宣言し、夫や家族を驚かせる。

ネタバレなし感想

独立した国、独立しようとする母

映画の感想をダラダラと書き綴っているこのブログでは、なるべくいろんな国の作品を扱っていきたいと思っています。だから邦画は意図的に取り上げることを少なめに抑えているのですけど、それでも圧倒的にアメリカ映画が多くなっちゃって…。ダメだなと思いつつも見ちゃうし、何より感想が書きやすいのですよ、アメリカ映画は。

そんな中で今回の映画『マイ・ハッピー・ファミリー』は今まで扱ったことがない国の作品です。個人的にこの国の映画を観たのは初めてかもしれません。その国とは「ジョージア」です。

ジョージア、かつてはグルジアと呼ばれたこの国は、黒海の東側に位置し、北をロシア、南をトルコに挟まれています。1991年にソ連から独立した歴史があり、国家としての歴史は浅いほう。どうりで映画を見たことがないわけです。ジョージアのゴリという町はあのヨシフ・スターリンの出身地らしいですね。

で、そのジョージアの映画である『マイ・ハッピー・ファミリー』ですが、批評家からの評価は上々。各地の映画祭でも称賛され、東欧の映画を中心に扱っている「ソフィア国際映画祭」において2017年の監督賞に選ばれました

内容は簡単に言うと、教師として働く2児の母である52歳の女性が“家出”するというストーリー。しかも、出ていく家は旦那の実家とかじゃなく、自分の実家です。親も夫も子も置いて出ていってしまうのです。

これだけ聞くと「ふ~ん、で?」な話に思えますが、この主人公である“家出”する母の姿を、ジョージアの歴史と重ね合わせると違ったものが見えてくると思います。

先にも説明したとおり、ジョージアはソ連から独立した国で、今もなおロシアにつくか欧米につくかで揉めています。また、ジョージア国内でも独立後もさらに分裂騒動があり、今では南オセチアとアブハジアの2地域が独立状態です。つまり、“家出”しまくっている地域なんですね。

本作は“家出”する母を通して、“独立”の意義を問いかけるような作品ともいえるのではないでしょうか。

そういうことを考えながら鑑賞するのがおすすめ。Netflixオリジナル作品として配信中です。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

地獄のファミリー

本作を観て大方の人が真っ先に思うことは「全然ハッピーじゃない…」ですよね。タイトルの『マイ・ハッピー・ファミリー』は強烈な皮肉でした。

本作はジャンルとして捉えるなら「倦怠期の夫婦」モノです。しかし、その状態は劇中ではほとんど末期といっていいレベルから開始されます。

主人公のマナナは完全に孤立しています。家族と同じテーブルで食事もとらず、隣の部屋でひとりケーキを食べる姿。この3世代同居家庭では、トップにいるのは明らかに実母のラマラであり、あれを買ってこいなどとにかく命令しまくります。一方で夫はというと無関心。それがグサッと観客に伝わるのは「誕生日会」のシーンです。マナナの誕生日で、自分の職場の同僚の男たちを呼ぶセンスもさっぱりわかりませんが、あの花束の渡し方のどうでもいい感じで愛情はゼロだなとわかります。その後の歌の場面も「あなたのことしか考えられなくなった」という歌詞と反比例するかのように、マナナのテンションはさらに激下がり。良くも悪くも賑やかな3世代同居家庭の中で、自分の居場所が全くない感じは、観客として見ていても非常に辛いものがありました。

しかも、このマナナが家族を心底鬱陶しいと思っている演出がこれ見よがしではなく、さりげなく挿入されているのがまた苦しくて…。家出を決めたマナナの周りで家族が口論する際に、マナナが手で耳を塞ぎジッと耐える姿とか。家出しても何回か家に戻ってきますが、そのドアを開ける前に必ず深くため息をつく姿とか。私としては、もう、やめてあげて…という心情でいっぱい。

見方を変えない人の恐怖

でも、当の家族はマナナがなぜ家出するのか全然わからないというのがまた恐ろしく…。実母のラマラは「お前は恵まれているのよ」と説教をたれるし、夫のソソは「俺たちが悪いのか」と逆切れモードだし、兄のレゾでさえ終盤で判明する異様な過保護行為にゾッとするし…。

どうしてここまでマナナに寄り添うことがないのか、それがはっきりわかるのが、家出したマナナを親類みんな集まった家に呼び出す「集団説得作戦」のシーン。ある女性がマナナにこんなセリフを言います。「みなさいよ、この子は、離婚歴もないし、学歴も学位が2つある、でも独身なのよ」「あなたは結婚して良い夫もいる」「なぜそれを捨てるの」。つまり、“結婚していること”はステータスとしてキャリアになる、それが当たり前だと思っているんですね、周囲は。マナナはまずそこからして理解できない。どうせ説明してもわからないと言うマナナの意見ももっともです

この保守的な家庭観。日本は今はだいぶ薄れてきましたが、それでもまだまだしぶとく残ってます。ジョージアという国の場合は非常にその考えが根強いのかもしれません。おそらくジョージアの宗教的価値観も影響していて、ジョージアは正教会が主流なんですね。正教会というのは、腐敗・分裂を繰り返すローマ・カトリックと違って、今もなお昔ながらの信仰を維持している歴史の長いキリスト教のひとつです。そういえばマナナは学校で宗教に関する文学を教えていました。そこで宗教は家族ドラマだとも語っていました。やはりこの映画にもそういう視点があるのでしょう。

家庭、宗教…見方を変えるということが全くできない人たちの恐ろしさ。それが劇中で意外な別の形でも現れていて、それがマナナの新居となるアパート。冒頭の物件探しシーンで、管理者らしき女性が部屋を案内する際、「前の住人はすごく幸せそうだった」「すごく良いアパートでしょう」「欠点がまるでないのよ」とべた褒めなのですが、移り住んでからガスの検針に来た人から、以前の住人はガスで自殺を図ったと聞かされます。物事には2面性があることを端的に示すものですよね。

マイ・ハッピー・ファミリー

独立を刺激する若者たち

そんな地獄のファミリーからマナナが抜け出そうという動機になったものは何なのでしょうか。直接のきっかけは描かれませんが、きっとそれは保守的な価値観に縛られない若い人の自由な生き方なのだろうということが暗に示されていたと思います。

例えば、教師として働くマナナの学校で長らく出席していなかったチゴギゼという名の17歳の少女。学校を休んだ理由を聞くと、なんと結婚してすぐに離婚したというじゃないですか。しかも、その子の口からこういうわけです。「別れるときは決心が必要。迷いはダメだと思う。突き通すべきよ」。これはマナナに刺さったでしょうね。

あとはマナナの息子のラシャが結婚相手として連れてきた女の子が、かなりマイペースで自由人なのも印象的。本名を名乗らず愛称で通したり、昔ながらの家庭観に全く縛られていません。

マナナは52歳。それでも若い人に触発されて新しい独立した人生を歩みたいと思うことは、大いに結構なことです。

一方で、家族を捨てたマナナが唯一心配しているのは娘のニノ。彼氏のヴァホと結局上手くいかず落ち込むニノに「子どもは出来なかったのは良かったのよ。いつかそう思える日が来る」と言って抱きしめる姿は、私のようにはなるなという母の愛と想いが感じられました。

ちなみにもうひとり忘れてはいけない家族メンバーが、マナナの実父オタール。割と暗くなりそうな本作の中で、漫然としたコメディリリーフとして異彩を放ってました。序盤から、彼氏といちゃつくニノを「よそでやればいいのに」と突っ立って見ている姿とか、笑いを誘います。あげくにニノとヴァホのカップル喧嘩に巻き込まれ、頭部に鍋が直撃して怪我を負う事件が発生。流れ弾ならぬ流れ鍋ですが、ここで珍しくオタールが声を荒げ、「KGBや共産党から逃げ切ったのに孫娘にやられた」と悔しさを滲ませる姿に爆笑しました。

ラストが意味するもの

「倦怠期の夫婦」モノはどうラストを締めるかが重要ですが、本作は安易にハッピーエンドにもバッドエンドにもしない独特の感じで、ここがまた良いなと思ったり。マナナとソソが初めてなんじゃないかと思うくらいの二人きりの食事の後、やっぱり口論に。怒って出ていったように見えるマナナを窓ごしに見るソソ。次にパッとカットが変わり、開け放した窓の前でたたずむマナナ。その後ろからソソがフレームインして、マナナが意味ありげに振り向いて視線をおくる。ここで映画は終わり。いや~、演出がニクイ。

個人的にはこの映画はマナナの独立ではなく、夫婦の独立の物語だったのかもしれないなと思いながら、余韻に浸っていました。

@Netflix