怪物はささやく
映画『怪物はささやく』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:A Monster Calls 
製作国:アメリカ・スペイン 
製作年:2016年 
日本公開日:2017年6月9日 
監督:フアン・アントニオ・バヨナ 

【個人的評価】
 星 7/10 ★★★★★★★

あらすじ

難病の母と暮らしている少年コナー。ある晩、彼の前に怪物が現われ、これから3つの「真実の物語」を語ること、そして4つ目の物語をコナー自身が語るよう告げる。しかもその内容は、コナーが隠している「真実」でなければならないという。嫌がるコナーをよそに、怪物は夜ごと現われては物語を語りはじめる。

「ジュラシック」を任せられた監督

2015年に大ヒットした『ジュラシック・ワールド』の続編のタイトルが『Jurassic World: Fallen Kingdom』と発表されました。非常に楽しみなところですが、その監督に抜擢されたのが“フアン・アントニオ・バヨナ”

このスペイン人監督は、あの日本人も大好きオタクの味方“ギレルモ・デル・トロ”監督にその才能を認められた逸材。『永遠のこどもたち』(2007年)、『インポッシブル』(2012年)と、これまで手がけた作品はどれも高い評価を受けています。そして、最新作である本作『怪物はささやく』も、スペインのアカデミー賞と称されるゴヤ賞で9部門にノミネートされ、監督賞を受賞するほど、評価はうなぎ上り。そりゃあ、『ジュラシック・ワールド』続編の監督に選ばれてもおかしくないですね。

本作の原作はイギリスの作家パトリック・ネスのベストセラー小説ですが、映画自体はスペインとアメリカの合作です。本作はダークファンタジーと宣伝されているとおり、確かに幻想的な映像も大きな魅力。物語の鍵となるCGで描かれた怪物の声を担当するのはなんと“リーアム・ニーソン”。しかも、モーション・キャプチャーもしてます。

しかし、本作の売りは決して映像だけではありません。

“フアン・アントニオ・バヨナ”監督は、迫力ある手の込んだ映像で勢いまかせにすることなく、その中でも人間ドラマをしっかり描くことに確かな才能がある人です。例えば、『インポッシブル』は2004年のスマトラ島沖地震で被災した家族を描いた実話ですが、生々しい津波映像とともに困難に直面する家族の葛藤が丁寧に描かれていました。

↑日本人には直視はキツイけれど、素晴らしい映画です。

舞台は違えど、本作『怪物はささやく』もその点は共通してます。ファンタジーだからといって子ども向けではなく、大人でも考えさせられる深層的テーマに踏み込んだ人間ドラマです。






↓ここからネタバレが含まれます↓





難解、それこそが本質

本作を観て、「なんか難解だったなぁ…」という感想を抱いたのなら、おそらくそれはこの映画の伝えたいメッセージがダイレクトに突き刺さった結果だと思います。

普通、大方の観客は映画というエンターテイメントにわかりやすさを求めます。良き存在が悪い存在を懲らしめる“勧善懲悪”だったり、弱き者が権力者に打ち勝つ“下剋上”だったり、不幸な人が最後は幸せを得ていく“大団円”だったり…。

でも、本作はそうじゃない。むしろ「実際の世の中は、人生は、人間は、難解なんだよ」と教えてくれるわけです。「そんなこと知ってるよ」と言いたい人もいるかもですが、意外と頭では理解していても納得はしづらいものです。

怪物はささやく

善悪の難解さ

本作が語る「難解」のひとつに善悪がありました。怪物の語る“王子の物語”は全く善悪論では説明できない掴みどころのない物語でした。良い奴も悪い奴も実はいないのだと。

それはコナーの現実の人生にも当てはまります。例えば、祖母。いかにもおとぎ話に出てきそうな子どもを閉じ込める悪そうな人間に最初は見えますが、実はコナーの部屋を用意してあげたりと、愛情のある存在だったことが後に判明します。コナーをいじめる同級生もそうです。明らかに悪い奴そうですが、言葉の端々にコナーへの気遣いも感じられます。きっと彼なりにコナーを想っていたのかもしれません。一方、父親はコナーの救世主的存在として登場したように一瞬映りますが、結局、コナーの気持ちをくんでやることはできません。

この善悪のあやふやさ。実は序盤の母と1933年の初代『キングコング』を観ているシーンですでに明確に提示される問題です。リブート版キングコング 髑髏島の巨神しか観ていない人はわからないと思いますが、リブート版では完全にヒーロー感あふれる存在として描かれていたコングですが、初代『キングコング』のコングは善なのか悪なのか判断付かない、人間の常識を超越した神のような存在として登場します。だから、観た人によってコングから受ける印象は変わるんですね。ある人は怖いと思うし、ある人はコナーと同じように可哀想だと思う。それをわかっている母はコナーを優しく見守っているのでした。

この「キングコング」要素の追加、監督が特撮映画好きだからこその演出であり、映画ならではのオリジナリティが光るアクセントになったと思います。

↑こっちの「キングコング」は難解じゃないほうです。

死の難解さ

おそらく誰しもが人生でその難解さに直面し、苦悩するのが「死」です。本作もまた死をテーマにした作品でした。これはコナーのような子どもだけでなく、大人も向き合うのが辛い問題であり、本作はコナー視点ではありますが、それでも祖母や父、そして母がその問題に葛藤している様子が映し出されていました。

冒頭で描かれる、崩壊する地面に落ちそうになる母の手を必死に掴むコナー。このシーンは、最初、母の死を恐れるコナーの心理的苦悩を写すものだと思うのが普通。しかし、終盤、怪物に迫られたコナーは白状するわけです。「ママが死ぬことがわかってた、終わらせたかったんだ」…あれは“手を離れてしまった”のではなく“自ら手を放していた”のでした。

つまり、コナーは死の難解さと向き合うことから逃げていたんですね。

読み解く手助けとなる映画化

そんなある種の難解な、言ってみればいかにも“文芸的な”テーマに対して、本作は映画的技法を上手く駆使することで比較手わかりやすく見せていたほうだと、私は思いました。原作の読み解く楽しさを残しつつ、映像で訴えかける力に溢れていましたね。映画が読み解く手助けになってくれます。

これは“フアン・アントニオ・バヨナ”監督作品の持ち味なのかもしれませんが、カメラワークが良いです。何かがコロコロと転がるのをカメラが追っていき、観客の視点ごと釘付けにする手法とか、登場人物をメインで映しているカットの背景に重要なモノが映っているとか。じっくり観ているとハッとさせられます。

本作の特徴ともいえるアニメーションも素晴らしく。怪物の語る物語がアニメーションで表現されるのですが、それがラスト、コナーが見つけた「Lizzie Clayton」と書かれた母のスケッチブックを開いたときに、なるほどと理解につながる演出もお見事。ちなみに監督の父は画家だったそうですね。それも影響しているのでしょう。

『ジュラシック・ワールド』続編への期待がグッと高まる一作でした。

©GAGA Corporation. All Rights Reserved.