マンチェスター・バイ・ザ・シー
映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Manchester by the Sea 
製作国:アメリカ 
製作年:2016年 
日本公開日:2017年5月13日 
監督:ケネス・ロナーガン 

【個人的評価】
 星 8/10 ★★★★★★★★

あらすじ

ボストン郊外で便利屋として生計を立てるリーは、兄ジョーの訃報を受けて故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻る。遺言でジョーの16歳の息子パトリックの後見人を任されたリーだったが、故郷の町に留まることはリーにとって忘れられない過去の悲劇と向き合うことでもあった。

ネタバレなし感想

山あり谷あり、また山あり

俳優のキャリアというのは“山あり谷あり”です。別に俳優に限った話ではないですけど、人生絶好調がずっと続くことはありません。

しかし、“ケイシー・アフレック”の経験した“谷”はなかなかのどん底っぷりでした。

彼の俳優人生初めての“山”は、2007年のアンドリュー・ドミニク監督の『ジェシー・ジェームズの暗殺』に出演したこと。この作品は、19世紀の実在の犯罪者を描いた伝記映画ですが、“ケイシー・アフレック”はその犯罪者に憧れる若者を熱演、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞や全米批評家協会賞などで助演男優賞を受賞。山頂で気持ちの良い日差しに包まれたことでしょう。

ところがそんな快晴は一瞬にして暗雲に覆いつくされました。2010年、“ケイシー・アフレック”は監督として『容疑者、ホアキン・フェニックス』という作品を世に送り出したのです。この作品、雑に説明すると「実在の俳優ホアキン・フェニックスが急に奇行が目立ち始め、役者を引退してヒップホップアーティストになる!と言い出す…というドキュメンタリーだったけど、実は全部演技で嘘だぴょ~ん」みたいな話。要はドッキリだったわけです。しかし、誰も笑っていなかった。映画業界の関係者は本気でホアキン・フェニックスの身を案じていただけに、このクソ展開には怒り心頭。“ケイシー・アフレック”は業界での信頼を失いました。

ほとんど自分で“谷”を作って自ら“谷”に身を投げたようにも思えますが、ともかくこれが“ケイシー・アフレック”の「自滅谷」の形成過程です。

そんな彼を“谷”から救ってくれた人物が現れました。

ひとりは“マット・デイモン”。『ボーン』シリーズや『グレートウォール』を観ているとすっかり忘れそうになりますが、彼は優れた脚本家であり、プロデューサーです。その“マット・デイモン”の企画した映画が“ケイシー・アフレック”に縄を結びます。
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二人目は“ケネス・ロナーガン”。マーティン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』で脚本を務め、監督作『マーガレット』でも高い評価を得た彼が、“マット・デイモン”の企画した映画の監督に抜擢。“ケイシー・アフレック”をつないだ縄を引っ張り上げます。

そして、生まれた『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で“ケイシー・アフレック”は主演に。「ちょっとした判断ミスがきっかけで人生が崩壊してしまう男の話」という作品性にはハマリ役でした。

結果、ご存知のように米アカデミー賞で主演男優賞と脚本賞を受賞するなど、各賞を総なめ。“ケイシー・アフレック”は再び山頂で栄光を浴びることになったわけです。

『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンといい、2016年のアカデミー賞はリアルな俳優人生と作品のキャラクター性が重なるものが多かったですね。

そんなことを知っておくと、この映画はより一層感情移入できる…かもしれない。しかも、この“ケイシー・アフレック”の「山⇒谷⇒山」はまだ続きがあって…というのは後半の最後に書きます。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

えっ、笑わせにきてる?

私はこの『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観る前は、勝手に「重苦しいシリアスな話なんだろうな…」と思っていたわけです。でも、いざ観てみたら全然違いましたね。

「俺はこんな村は嫌だ!」と閉塞的な地元を飛び出そうとする主人公を描く物語が一種のジャンルとして存在しますが、本作もある意味それと同じと言えなくもないです。しかし、本作はそれら定番とは明らかに趣が異なります

違い、その1。エモくない。主人公があれだけの悲劇を抱えていて、その葛藤と再出発を描くともなれば、扇情的なドラマになりがちです。しかし、この映画にはそれがありません。それもそのはず、主人公のリーは超がつくほど無愛想なのでした。もちろん、それは重い過去を抱えているがゆえなのですが、きっとどこかで感情が爆発するシーンがあるのだろうと思っていたら、それもなく映画は終了。その間、劇中では見事なまでの“フラグクラッシャー”っぷりを発揮し続けます。でもなぜかドラマには惹きつけられる…不思議な映画でしたね。

違い、その2。笑える。本作はシリアスなドラマの皮をかぶってはいますが、実際は半分はコメディといってもいい作りです。「えっ、笑わせにきてる?」と思うようなシーンの連続なので驚きました。

まず全体が常にモタモタしています。邪魔が何度も入ってセックスできないパトリックだったり、厳かな教会でのスマホがブーブー鳴るシーンだったり。細かい部分だと、リーが兄の遺体と面会した病院での「ジョーの私物はどこ?」とスタッフが繰り返す場面だとか、火災現場で遺体を救急車に運ぶ際にストレッチャーを上手く載せられない場面だとか(なんでもこれは演出ではなく素で起こったことらしい)。友人のスタートレック・トークや、葬儀屋のどうでもいい長話、なんともグダグダ感を漂わせるバンドのシーンなど、これいる?みたいな会話もふんだんにあります。間のギャグが多く、過去編で、出発するリーに対して子どものパトリックがなかなかお別れに出てこず間ができるシーンとかはその最たる例です。

個人的に爆笑ポイントは、セックスしたいパトリックのお願いで、世間話で彼女の母親が来ないようする作戦のくだり。全くトークがないのも最高ですが、母親に「ちょっと失礼」と言われて「どうぞ」なんて言っちゃうリーのやる気のなさ。むしろ楽しんでるんじゃないか、コイツ。

あと、父さんを冷凍したくないと言うパトリックが冷凍チキンを見ることで劇中で初めて取り乱すシーン。普通の考え方ではこのシーンは最もドラマチックなシーンになる…はずですよ。リーと抱き合って涙を流すとかでもいい。でも、実際はリーの対応がアホ感たっぷりで笑っちゃいます。「病院行く?」「友人呼ぶ?」からのドアを強硬突破! 不器用か!

はっきり言って普通は不謹慎です。でも、本作はそれをやっちゃうのです。

マンチェスター・バイ・ザ・シー

周囲が彼を苦しめる

なんでこんなことをするのか。

私が思うに、リーは過去の悲劇に対してもう彼なりに折り合いをつけていたのではないでしょうか。もちろん、辛いです。事件直後は自殺だって考えました。でも今ではとりあえずの生き方の妥協点を見出している…そんな感じです。

ところが、そんな彼をよそに、周囲が勝手に深刻に考えすぎているところがあります。リーの元妻ランディが言うじゃないですか。「あなたの心は壊れている」「死なないで」と…すごく重い気遣いです。リーはその変な気遣いが嫌で地元に戻りたくない、自分以上に周りが辛そうな顔をする、それが嫌なんだと感じました。ときどきむしゃくしゃして窓ガラスを殴り割ったり、バーで人を殴ったりするけど、これはいっそのこと冷たくしたり、怒鳴ったりしてくれたほうがいいという気持ちの裏返しな気がします。そもそも事件が起こる前のリーは仲間を集めてチャラチャラしたパーティして騒いでいましたから、そういうノリが好きな人だったはず。

あの事件で変わったのは「周囲」なのでしょう。実際、劇中でも周囲の視線を描く演出がいくつも挿入されていました。これってこの映画を観る観客にも当てはまることで、私が本作を観る前に抱いていた「重苦しいシリアスな話なんだろうな…」という勝手な先入観こそ、リーを苦しめる。

これは映画の舞台も影響していると思います。マサチューセッツ州の「マンチェスター・バイ・ザ・シー」。実はこれは全部ひっくるめて町の名前なんですね。元は「マンチェスター」というだけの名前の町だったそうですが、ニューハンプシャー州にも「マンチェスター」の名の町があるので、1989年に改名して「マンチェスター・バイ・ザ・シー」になったそうです。

劇中の描写だとかなり暗い貧しそうな町に見えなくもないですが、夏は賑わう綺麗なビーチがあったりと比較的豊かな町です。つまり、住む人も、言い方が悪いですが“常識を持った普通の人”のはず。だから、気遣ってくれる。たぶんもし舞台が貧困地域だったら、リーのような過失で酷い悲劇を起こしてしまった奴がゴロゴロしているでしょうから、あんな風に孤立することもないでしょう。

「ここに住めば?」と問われて「乗り越えられない」「辛すぎる」と答えるリーですが、リーを乗り越えさせない障害は他でもない、周囲なのかもしれません。

火をつけっぱなしで寝てしまい、料理を焦がして火災報知器が鳴ってヒヤッとするシーンがありますが、あれなんかはまた悲劇に舞い戻ってしまう恐怖が表面化する印象的な場面でした。ここにいたらダメだぞという警告でもあります。

そこで物語のキーになってくるのが「船」。これはまさにそんな呪いの地からから離れる手段です。しかも、あのジョー・チャンドラーが所有する船(そしてパトリックによって継承された船)の名前は、「CLAUDIA MARIE」と船体に書かれています。これはジョーとリーの母親(パトリックの祖母ともいう)の名前です(劇中で墓に名前が刻まれています)。つまり、家も子どもも兄も失ったリーにとって、唯一残った家族のモノです。

そんな船で、唯一、リーが共感し合える存在となったパトリックとともに、どこかにあるかもしれない呪いのない新天地を目指せる…のかもしれない。ささやかな希望を見せて本作は終わるのでした。

喜びもつかの間、また谷が…

とまあ、“ケイシー・アフレック”にとって素晴らしい一作となったわけですが、残念なことに“ケイシー・アフレック”、もう次の“谷”が見え始めていて…。

それがこのブログでもたびたび話題にする、ハリウッドを激震させているセクハラ騒動。実は“ケイシー・アフレック”は過去にセクハラで訴えられているのです。それは示談になったみたいですが、おそらくこの2017年のセクハラ騒動が去年起きていたら、“ケイシー・アフレック”は主演男優賞をとれなかったかも…。しかも、今度は兄のベン・アフレックまでセクハラで窮地に立たされていますからね。兄弟揃って谷底です。

今度の復活は相当困難な気がしますけど、どうなるのやら…。

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