フリーセックス 真の自由とは?
Netflixドキュメンタリー『フリーセックス 真の自由とは?』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Liberated: The New Sexual Revolution  
製作国:アメリカ 
製作年:2017年 
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信 
監督:ベンジャミン・ノロト 

【個人的評価】
 星 6/10 ★★★★★★

あらすじ

春、開放的なビーチに大挙して押し寄せるアメリカの若者たち。男も女も求めているものはみな同じ。それは「性」。ただそれだけだった。ポップカルチャーに影響されたイマドキの世代は、一体何を考えて生きているのか。性の自由を謳歌する若者たちのありのままの姿を追いかけながら、ショッキングな現実が明らかになる。

ネタバレなし感想

ピラニアは出てきません

最初に念のために忠告しておかないとダメかもしれない。

この記事はドキュメンタリー作品の感想を書き記したものです。卑猥なコンテンツは一切含まれておりません。

ほら、一応念入りに説明しておかないと“勘違い”されるかもしれないし、タイトルを見て「フリーセックスの…感想だと!? お前、何をした!」って思われるかもしれないから(被害妄想)

ということで、あらためて紹介するのは、『フリーセックス 真の自由とは?』というNetflixで配信されているドキュメンタリーです。

なんでこの作品を観ようと思ったのか。その理由は「IMDb」のこの作品ページのレビュー欄が荒れていたからです。たまにそんな好奇心で作品を鑑賞するときがあるのですよ。

ここで突然ですが『ピラニア3D』という2010年のアレクサンドル・アジャ監督による映画をご存知でしょうか。この映画は、春休みにハメを外すぜ!と集まったアメリカの学生たちが、男も女も水着だ!酒だ!おっぱいだ!みたいなノリで開放的な性を満喫してどんちゃん騒ぎをしているところを、太古から進化を遂げたピラニアが襲いまくるという、なんとも平和なパニック・ムービーです。

この映画で襲われる役として登場する無数の“うぇーい!”な若者たち。実はこの若者たちの存在は別にフィクションではなく、アメリカの学生文化として実際にあるもの。そんな若者たちに真面目にスポットをあてたドキュメンタリーが『フリーセックス 真の自由とは?』となっています。

察しなくてもわかると思いますが、この若者たちのお目当ては「セックス」。それしか考えていない人たちです。日本だとこういう感じの人を今の言葉だとなんて表現するのでしょうか。ちょっと最近の流行に疎いのでわかりませんが、この作品で取り上げられているような極端なコミュニティというか、トレンドが日本にも存在するとは聞いたことがありません。やはりちょっとアメリカ独自のものなのでしょうか。

セックスしたいなんて欲求として当たり前だし、普通でしょ?と思うかもしれないですが、この作品に映し出される思考はそれとは少し違うのです。でも、日本人、しかも若者だけでなく“いい年した”大人にもじゅうぶん当てはまる共通項が見えてきたりするから面白くて…。

そして、本作の良いところは「性の乱れ」という安易な言葉で片づけない点です。ちゃんとなぜ若者たちがこんな行動や思想にハマっていくのか、それを専門家の意見も交えつつ、分析しています。ちょっと教育的すぎるきらいがありますが、ディベートの題材にピッタリな作品ですので、教育現場とかで上映してほしいくらいです。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

恋愛は古い

春休み、太陽が眩しそうな南部のビーチを、まるで群れを成す動物のように覆い尽くすのは学生たち。“動物のよう”と表現しましたけど、別に比喩でも何でもなくて、本当に動物的行動動機で集まっています。だって「セックス」がしたいのですから。完全に繁殖期になると集団化する野生生物と同じですよね。なんでしょうか、人間って動物だったんだよなって実感しました。

彼ら彼女らの目的は一貫しています。「セックスが一番ウケる」「好かれるには裸をさらさなきゃいけない」「ヤるだけ」

面白いのが、別に交際をしたいわけではないという点。それどころか「愛」という概念には全否定的ですらあります。「愛なんて存在しない。セックスを肯定するための社会が創り出したウソよ」そんなセリフまで言い放つ始末。

その昔、60年代に「ヒッピー」という人たちが出没し、ムーブメントを巻き起こしたこともありましたが、この集団も当時は「フリーセックス」的な自由な性を信念にしていました。しかし、それとは明らかに違うと本作では説明しています。今のコレには愛や思いやりは全くなく、思想やコミュニティ意識もない。ただ、快楽のみ。なので「セフレ」みたいな概念ですらないわけです。出会って数十分足らずでヤって、終われば相手の名前すら覚えていないという姿は、本当に相手を性を満たす道具くらいにしか思っていない感じ。

不思議なのは作中では「カジュアルセックス」と呼ばれるこの状況を、男はもちろん、女も支持しているというところ。「恋愛は古い」という価値観が強烈です。

フリーセックス 真の自由とは?

裏側の本音

もちろんアメリカの若者が皆こういう考え方をしているわけではないし、これは一部の事例です。でも存在するのは事実でもあります。では、なぜこんな価値観を持った若者がアメリカで生まれてしまったのか。

本作では、それを「男らしさの文脈(Masculinity)」「女らしさの文脈(Femininity)」の2つの視点から読み解いていました。

元来、男らしさの象徴は“力”であり、その力を示すのがセックスであり、その手段が女であった。そう説明されていく男らしさの実態。寝た女の数で男の価値が決まる、よりセクシーな女の子を探す、セックスを断る男は男らしくない、性体験が乏しい男は男としての自信を持てない…。

一方で、女らしさの象徴は“男に認められること”であり、自分の価値は性的魅力で決まると思っている。そう語られていく女らしさの実態。男の子たちは成長すれば雑誌のパーフェクトなボディの女性に夢中になるし、それに比べて自分は常に残念で、比較されて辱められる。だからセックスを求められると認められたと感じる…。

冒頭で書いたとおり、確かにこれらの男らしさや女らしさは「動物的」にいえば正しいし、変な部分はないのですが、人間としてそれでいいのか。まさに「人間らしさ」が欠けてしまった結果、あのカジュアルセックスが氾濫していったわけで、なかなか深い問題です。

印象的なのが、このまかりとおる男らしさや女らしさのイメージに苦しんでいる若者たちの意外な弱音。童貞は卒業しなければいけないという強迫観念による「童貞狩り」を残酷だとこぼす男、自分のようなことを幼い妹がしていくのは耐えられないと涙を見せる女。いずれもさっきまでカジュアルセックスに身を投じていた若者とは思えない心の吐露が、彼ら彼女らも表面ではわからない苦しさを抱えているんだなと思わせます。

本当のフリーセックス

実はこの若者たちは被害者なのかもしれません。少なくとも最初は。

何よりそういうステレオタイプな男らしさや女らしさのイメージを先導してきたのが、作中でも描かれるとおり、メディア、映画、ドラマ、ゲーム、スポーツ、雑誌、芸能界なのですから。つまり、大人です。

これはアメリカのみならず、日本も同じですよね。私も映画を観ていて、この男女観はどうなんだ…と思うことは珍しくないです。思えば、この「“らしさ”洗脳」は幼い子どもの頃から行われていて、男の子だったら“男の子らしい”おもちゃを買い与えられ、女の子だったら“女の子らしい”衣服を身につけさせられる…実はこれも同じことな気がします。まさかそれが性の暴走につながるとは思いもよらず…ですが。

そして、日本でも今まさに起こる、政治家や芸能人による性の搾取による事件の数々…全く他人事ではありません。

ドキュメンタリーでは、最後に性的暴行の文化につながることを指摘します。必ず男性が主導権を握り、「嫌そうに見えても女はセックスしたいと思っている」「女は見せるのが好きなんだ。みんなアバズレだ」という極めて身勝手な加害者正当化思考。最近の日本も、性犯罪を受けた被害者が非難される実態を目にするなか、「どこでも起きている」という言葉の真実味が嫌でも伝わりました。

男らしさや女らしさなんていう誰が決めたか知らない「基準」から逃げることができれば…それは自由(フリー)になれるということ。それが本当の意味での「フリーセックス」なのだとしたら、そういう未来を望みたいです。

ひとまず私にできることは、新しいジェンダー的価値観を推進するような映画を応援することですかね。

本作を観た人は、ぜひ『ハンティング・グラウンド』というドキュメンタリーもオススメします。関連性が非常に高いので。
『ハンティング・グラウンド』感想(ネタバレ)…強姦を隠蔽する大学に立ち向かえ

おすすめ PiCKUP!
↑『ピラニア3D』(「ピラニア」というタイトルで販売)。なんか全員が襲われるのは可哀想だったかな…と、『フリーセックス 真の自由とは?』を観た後は思う…。
(C)Netflix