哭声 コクソン
映画『哭声 コクソン』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:The Wailing 
製作国:韓国 
製作年:2016年 
日本公開日:2017年3月11日 
監督:ナ・ホンジン 

【個人的評価】
 星 8/10 ★★★★★★★★
 

あらすじ

韓国の山奥にある村に突然やってきた、得体の知れない日本人の男。村じゅうに男に関する噂が広がる中、村人が自身の家族を虐殺する事件が多発する。殺人を犯した村人は、湿疹でただれた肌に、言葉を発せないほどの錯乱状態だった。村の警官ジョングは、この謎めいた事件を捜査していくが…。

怪演のオンパレード

韓国映画はやっぱり凄まじいなと思う3月の今日この頃。

先日、観賞したパク・チャヌク監督の『お嬢さん』といい、圧倒されっぱなしです。

今回取り上げるのは、ナ・ホンジン監督の『哭声 コクソン』。長編デビュー作『チェイサー』(2008年)でいきなり世界で賞を受賞しまくるという、天才っぷりを発揮。2作目『哀しき獣』(2010年)でも高い評価を集めたナ・ホンジン監督の最新作です。今作でも評価は上々で、しかも本国では興収的に大当たりしてます。

本作の注目点といえば何といっても“國村隼”。韓国の映画賞である青龍映画賞で外国人俳優として初受賞となる男優助演賞と人気スター賞のダブル受賞を果たした…ということで、まず、凄い!おめでとうございます! 偶然ですが、『お嬢さん』に続き、またしても日本要素が登場する韓国映画となりました。役どころは「日本人の“よそ者”」で、裸同然のふんどし姿で森を駆け回るという猛烈なインパクトを残すキャラクター。裸といっても『お嬢さん』と違って変態性は皆無です。これだけでも観たくなるに足る誘引力。今回の起用は“見た目は似ていても異邦人”である中国人か日本人俳優を想定した結果らしいです。こうやって日本人が海外映画で活躍するのは素直に嬉しいかぎり。私の中では『沈黙 サイレンス』の“イッセー尾形”と『哭声 コクソン』の“國村隼”が個人的助演男優賞をめぐってデッドヒートを繰り広げています。

恐ろしいことに怪演しているのは“國村隼”だけじゃありません。あの登場人物も、この登場人物もと、次々と起こる怪演の連鎖。もう止まらない…。

本作は、ナ・ホンジン監督の過去2作とは結構毛色が違う作品。ジャンルとしては完全にホラーの領域に達してます。殺人などの直接的描写がないのも特徴で、そのせいか映倫区分G(全年齢)。「じゃあ、生温いのか…」とガッカリする必要はなし。起こっていることは過去2作以上に凄惨で、見せないことで逆に得体のしれない恐怖が増していきゾクゾクしっぱなし。

こういう韓国映画が大手のシネコンでガンガン公開されてもいいと思うのですけど…。若い人も皆で観ると観終わったあとに議論が弾むはず。万人におススメの、韓国と日本が絶妙に混ざり合ったホラーの怪作です。






↓ここからネタバレが含まれます↓





前半はホラー版『21ジャンプストリート』

ナ・ホンジン監督作は過去2作も後味悪かったので、今回もさぞかし凄惨・陰湿なホラーなんだろうなと思ってると、ちょっと拍子抜けします。確かに冒頭から陰惨な事件が起こるんですが、どこかコミカル。

これは主人公の警官ジョングの存在が全てでしょう。悪夢にうなされて飛び起きる場面といい、後半のゾンビ風村人に襲われる場面といい、びっくり演技がオーバーすぎて可哀想に思えばいいのか、笑っていいのかこっちも困惑。個人的に好きなのは白い服の女に石を投げられまくってるシーン。あと、ジョングじゃないけど、後半に“よそ者”の家に荒くれ者たちでカチコミに行くシーンで、トラックの荷台に手当たりしだい武器になるモノを乗せるのですが、ちゃっかり「牛骨」があるのが笑えました。『哀しき獣』オマージュかな?

仕事に対する態度も、プライベートの家族に対する姿勢も、常に弱々しいジョングは、どう見ても「弱すぎる被害者」の代表例的存在。完全に巻き込まれ型サスペンス・コメディです。お前で本当に捜査できるのか?と不安でいっぱい。私は見ててなんとなく『21ジャンプストリート』を連想してました。なんかジョングの体形といい、性格といい、ジョナ・ヒルっぽい役柄なんですよね。

しかし、この「弱すぎる被害者」というキャラが後半に設定も含めて鮮やかに逆転する…この手際がホント見事です。無意味なコメディじゃないんですね。

まさに疑心暗鬼の連鎖

物語はジョングの娘が豹変して以降、コミカルさが消え失せ、一気にシリアスへ。この一瞬で映画的歯車が回り出す感じがナ・ホンジン監督らしさだなと思います。いつもの暴力シーンがない代わりに、怪演、怪演、また怪演とテンポよく放り込まれて飽きません。ジョングの娘役の子の凄まじい憑依演技では、あらためて韓国映画界の子役たちの恐ろしさを確認しました。そして、怒涛の祈祷バトル。ここが本作の唯一の殺し合いシーンともいえる…のかな。ドンドコドンドコのリズムが異常に盛りあがってなんか変なテンションになりそう。

哭声 コクソン

やっぱり何より気になるのは「真実は何?」という点だと思います。本作は結局「真実」というのは提示されません。

“よそ者”、白い服の女、祈祷師…怪しい奴はたくさん出てきますが、一体誰がこんな悲劇を起こしたのか…。

ここからは私の個人的解釈です。

本作は物理的な現象の原因の答えはあっさり作中で言及しているでしょう。序盤で「錯乱した村人からキノコの幻覚成分が検出された」とジョング自身が発言します。本作の数少ない2次情報です。しかも、“よそ者”が車に轢かれ“死んだ”後、念押しするかのように「毒キノコが健康食品に混入した」と報道されています。普通に考えたら、これが理由…それで済む話です。

そう、「誰も悪霊じゃなかった」というオチなんじゃないでしょうか。

これを裏付ける理由に、まず、ナ・ホンジン監督がインタビューで「前2作では加害者を焦点にあてたから、今作では被害者の立場で映画を撮りたかった」と言ってるんですね。つまり、本作は被害者の映画、もっといえば登場する誰もが被害者なのかもしれません。だから「弱すぎる被害者」の代表例的存在であるジョングが主人公なのでしょう。これで加害者を描いてしまったら、矛盾してしまいます。

そして、映画冒頭に引用される 「ルカによる福音書」が確定的に本作のストーリーをオチまでそのまま表しています。大半の日本人には馴染みのないキリスト教ですが、簡単に解説すると、これは新約聖書の一書で、イエスが磔にされて復活するまでの話。摩訶不思議な力を持つイエスは周囲から悪霊だなんだと忌み嫌われ、十字架の形に処されますが復活を遂げ、信じられないと驚く人々に「どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」と言った…というものです。劇中でもまさにこの世のものとは思えないような存在であった“よそ者”や白い服の女の手に触れるシーンが終盤にあります。悪霊じゃなかったわけです。

でも、本作の登場人物は疑ってしまう。全てはそこから始まりました。本作はこの疑うまで至る過程が実に丁寧に描かれています。それこそ気づかないほど自然に。例えば、ジョングの娘も序盤から親のセックスに見慣れているなど、明らかに子どもとは思えない大人びた知性があることが示されていました。穢れた大人を知っている…ゆえに疑った。あの子が、疑うことの知らない純粋無垢な子どもだったら、こんなことにはならなかったでしょう。そして、ジョング自身も娘の危機がトリガーになって「弱すぎる被害者」から豹変。あげくにラストは、比較的冷静に事態を見ていたはずの神父助手の男でさえ、“よそ者”に疑いの刃を向ける始末。“よそ者”に写真を撮られるということは、つまりこれから豹変するということ。だから、“よそ者”の姿が異形に見えたのでしょう。

擬人暗鬼にかられたのは村人だけじゃないというのも事をややこしくしてます。“よそ者”、祈祷師の男、白い服の女(こっちもたぶん祈祷師)もまた疑心暗鬼の虜にかかっていたのではないでしょうか。互いに互いを「悪霊」だと思い込んでいた気がします。「何を言っても信じない」と言う“よそ者”も他人不審だし、白い服の女も何も救えない。一番滑稽なのはジョングの娘の除霊を引き受ける祈祷師の男。私はこいつもジョングと同類のダメな奴だと思いました。「今までのなかでも超ヤバイ悪霊っすね。でも、俺退治できるから。金さえあればね。まかせろって。……あっ、やべぇ、間違って別の奴、殺しちゃった。あ、やっぱりあいつが犯人っすわ。絶対。今度は正しいっすよ」っていう仕事に対するこのテキトーさ。こいつも疑心暗鬼に弱いへっぽこでしたよ。この祈祷師も、ラストに“よそ者”と同じように写真を収集していることが明かされますが(一瞬、“よそ者”が燃やしたという写真を持っているように見えて、まるでグルじゃないかという考えがよぎりますが、写真の内容が違うので関係ないと思います)、これは疑心暗鬼がこうやって拡大し続けるよってことなのかなと受け取りました

本作は観客をも巻き込んだ疑心暗鬼を煽る演出が非常に上手く、誰しもが「真の黒幕」探しについ没頭してしまいます。まんまと引き込まれましたよ。

そんな疑心暗鬼の絶望的な連鎖の中で、本作はちゃんと救いを提示してます。それが後半にポッと出てきたキリスト教の神父です。不安がるジョングに簡潔に「病院に戻って医者を信じてなさい」の言葉(ジョングはこの言葉を無視して最悪に突っ走っていくんですが)。なぜこんな冷静なことを言えるのかといえば、彼には信じるものがあるからでしょう。そして、やる気がなく流されっぱなしのジョングもまた死の間際に娘という信じるべき存在をやっと見つけられたようでした。父親になるのが遅すぎましたね…。

『沈黙 サイレンス』が信じ抜くことの難しさを描いたものならば、本作は疑うことの危うさを描く…違うようでこの2作は裏表の関係であり、結局必要なのは信念なのか。

私も信念は忘れないようにしないと…祈祷合戦に振り回されたくないです。

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