チャナード・セゲディを生きる
Netflixドキュメンタリー『チャナード・セゲディを生きる』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Keep Quiet  
製作国:イギリス 
製作年:2016年 
日本では劇場未公開:2017年にNetflixで配信 
監督:ジョセフ・マーティン、サム・ブレア 

【個人的評価】
 星 9/10 ★★★★★★★★★

あらすじ

ハンガリーの極右政党ヨッビクの副党首を務め、反ユダヤ主義を主張する政治家のチャナード・セゲディ。若いながらも過激な言動で世間の注目を集め、一部では熱狂的な支持を得ていた。そんなセゲディの人生を一変させる事実が発覚する。それはセゲディの母方の祖父母はユダヤ人であり、つまりセゲディはユダヤ人だったのだ。

ネタバレなし感想

悔い改めることの難しさ

近頃はキャリアのある大の大人が不祥事を起こしたにも関わらず、ろくに反省した様子もなく平然としている光景をよくニュースなどの映像で目にします。一方で、自分の過去を受け止めて涙ながらに謝罪して悔い改めようとしている人もいます。

そんな世の中において「人生を再スタートさせること」の難しさについて深く考えさせられるドキュメンタリーが本作『チャナード・セゲディを生きる』です。

本作は2016年のドキュメンタリーですが、日本では遅ればせながら2017年の終わりにNetflixで配信されました。

その内容に多くの観客は心を揺さぶられ、論争に火をつけるにはじゅうぶんな素材でした。では実際の中身は…それは作品をその目で見て確かめてください。

ネタバレなしで言えることがあるとすれば、先にも書いたように、世間では何らかの罪を犯した人が一応は反省の立場を示したときに「コイツは信じられるのか」問題が発生するわけです。やり直しのチャンスを与えるべきだとか、そんなに責めるべきではないとか、いやどうせまた同じ過ちを繰り返すだとか、そもそもこれはパフォーマンスで本当に反省なんてしていないとか…。リアルでもネットでもこんな反応で埋め尽くされるのがいつもの流れじゃないですか。

それを象徴するようなとある政治家の選挙の実話を追いかけたドキュメンタリーとして『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』なんていうものもありました。
『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』感想(ネタバレ)…セカンドチャンスは甘くない
日本だとゴーストライター騒動で日本中の注目を集めた佐村河内守を追いかけた『FAKE』が思い出されるところ。

対してこの『チャナード・セゲディを生きる』は、「コイツは信じられるのか」という問題における究極の形を提示してきているような一作です。とにかく起こっている事柄が極端。その結果、「宗教とは何か」「ホロコーストは何が問題なのか」といった根源的な問いかけまで掘り起こしていく作品の語り口は見事です。

絶対に鑑賞した後は考え込んでしまうはず。もし自分が同じ立場だったらどうするか。そんなことを考えながら見てほしいです。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

妄信が自分を追い込む

「ホロコーストだけを特別視するのはオカシイ」
「ユダヤ人にも原因がある」
「ユダヤ人には愛国心がない」
「いつまでもホロコーストの話をする。直接に関わっていない者にまで責め立てているみたいだ」

そんな典型的な極右な言葉を次々と口にするチャナード・セゲディ。極右政党の中心メンバーとして設立時から活動してきた彼は、失業や治安悪化に不安を持つ若者の感情の代弁者として上手くハマり、自警団を運営し、さらに力を拡大。選挙でも支持を獲得し、ついには欧州議員にまで上り詰め、さらなる高みを目指していました。

ここまでの経歴を見れば決して無能な人間ではないことがわかります。人々を魅了する話術と駆け引きの上手さ、何よりも大衆を扇動する才能に長けているわけですから。企業だったら絶対に欲しい人材です。

そのセゲディの順風満帆な人生は、ある男が吹聴し始めた“噂”…「あんたの祖母はユダヤ人だ、つまりお前もユダヤ人だ」…によってひっくり返ります。そしてそれは紛れもない事実でした。

この状況を表面的に見れば、ただの自業自得な男です。自分がこれまでユダヤ人に対して好き放題に行ってきた発言がブーメランのように戻ってきたわけで、“ざまあみろ”な盛大な自爆。彼のことは、右派は裏切りものとして非難し、左派やリベラルは笑いものとして嘲る。どでかい墓穴を掘った彼を擁護する人がいないのも頷けます。

でもセゲディのような人間は実はたくさんいるんじゃないか。私なんかはそんな風にも思うわけです。誰しもが「自分は絶対に正しい」と思っていて「それが覆されることはない」という根拠のない安心感の上に生きているともいえます。でもそれには気づかないものなのですよね。セゲディの自宅前で大挙して押し寄せて彼を「恥」「卑劣」と批判するあの右派の人たちも、もしかしたら自分も?なんては考えない。そういう私も今まさに何かを間違って信じているのかも…。

妄信って怖いなと思う事例でした。

沈黙し続けるしかない

本作はそこからさらに「なぜセゲディはそんな事実に自分でたどり着けなかったのか」という疑問を通してホロコーストの根深さを浮き彫りにします。

セゲディがユダヤ人だと判明した祖母に直接に話を聞く場面。

「僕が政治の道に入ったときはどう思った?」という問いには「悲しい。心配だった」。

「なぜ止めなかったの?」と祖母に聞くと、「言えるわけない。だから黙っていた」という答え。

このときセゲディはホロコーストというものの重さに初めて気づきます。今まで「ユダヤ人は偽装が上手く大衆に紛れ込む」とか「被害妄想が激しい」とか散々言ってきたわけですが、全然違ったと。むしろ、被害を言わずに耐え忍んでいる人が多いのだと。まさにそれがユダヤ人が抱える歴史的な苦しみだったのかと。

アウシュビッツへ赴いて、生還者に「『シンドラーのリスト』で描かれていたのと同じなの?」とセゲディが尋ねるシーンは、あんなに右派時代はユダヤ人を敵視していた彼の実際のユダヤ人に対する知識が非常に偏っていたことを如実に示すようでした。

ゾッとするのは祖母があっけらかんとしていることです。感情的にすらならない。それはまるで世間に対して諦めてしまったようで、とても辛く心に刺さります。

「今、ユダヤ人に何ができる?」という質問に「沈黙し続けるしかない」と答えた祖母。本作の原題である「Keep Quiet」そのものな状況が、決してホロコーストは過去の出来事ではないことを印象付けさせます。

チャナード・セゲディを生きる

わからない

とまあ、ここまでの話であれば、悪い奴が反省してお利口さんになりました…みたいな単純な道徳の授業のような話で終わってしまいます。

しかし、ここからが本作のさらに興味深い部分。先述したとおり、「コイツは信じられるのか」問題に直面するわけです。

自分がユダヤ人だと判明して党首に辞めるべきかと連絡すると、とどまってその立場を利用しろと言われたセゲディですが、結局事実が世間に暴露されると、ユダヤ人として生きる道を選びます。それはあまりに真逆に進路変更です。

ところが、当然ではありますがユダヤ人は彼を簡単には受け止められません。

「彼を信じていいかどうか正直に言ってわからない」
「彼を迎えるのは受け入れがたいことだ」
「言葉巧みに過去を取り消すつもりか」
「こんなもの、派手な見世物だ」

そんな率直な言葉の数々からは、悔い改めることの難しさ、そして悔い改めようとする人間を受け入れることの難しさを痛感させられます。

でもこれが今の世の中で求められていることなのかもしれないですね。正反対のものどうしが、互いに歩み寄ること。とくにその象徴となる正統派の協議会会長のラビの姿が印象的です。全てのユダヤ人を歓迎すべきという信念のもと、セゲディをユダヤ人として指導していくラビ。セゲディはユダヤを理解しようとし、ラビは極右思想と向き合う。ありえない邂逅ですが、“信じようという気持ちが何か新しい未来の道を切り開くのでは”という希望を感じるのは私だけでしょうか。

最後に「ユダヤ教に背を向ける日が来るか?」と聞かれて「わからない」と答えるセゲディ。そんなものですよね。私も何を信じていいやらわからないです。でもたくさんの価値観に触れることは悪いことじゃないはず。だから今日も映画を観るのでした。

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↑『サウルの息子』。アウシュヴィッツ収容所でユダヤ人を殺す仕事をしていたユダヤ人の話。
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