好きにならずにいられない
映画『好きにならずにいられない』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Fusi(Virgin Mountain)
製作国:アイスランド・デンマーク 
製作年:2015年 
日本公開日:2016年6月18日 
監督:ダーグル・カウリ 

【個人的評価】
 星 8/10 ★★★★★★★ 

あらすじ

アイスランドの空港の荷物係として働く43歳独身のフーシは、オタク的な趣味を楽しみ、周囲からは変な奴だと思われていた。そんな日々を送る息子を見かねた母親は、フーシにダンススクールのレッスン券をプレゼントする。しぶしぶダンススクールへと出かけたフーシは、そこで1人の女性と出会うが…。


髪の毛をバカにする人、された人へ

最近、日本のニュース番組で「髪の毛が豊かではない人」に罵詈雑言を浴びせる音声が流れて、嫌な思いをした人も少なくないのではないでしょうか。

そういう「髪の毛が豊かではない」という本人には何ら非もない身体的特徴をバカにする奴は、“ヴィン・ディーゼル”と“ドウェイン・ジョンソン”と“ジェイソン・ステイサム”に囲まれてボッコボコにされればいいと思います。

さて、そんなように外見(キャラクター)を理由に人からバカにされる主人公が一歩を踏み出していく姿を描いた北欧映画が本作『好きにならずにいられない』です。

ポスターを見ればわかるとおり、主人公フーシの見た目は、うん、確かにバカにされそうで…。劇中では職場の同僚にも「フーシの毛はひどいな」と陰口を言われる始末であり、これに加えてミリタリーやラジコンなどオタク的趣味を持っています。まあ、典型的な社会のマジョリティから下に見られるタイプの人間です。

そのフーシがどう変わっていくのか。本作は日本の宣伝では恋愛映画扱いですが、どちらかと言えばもっと普遍的な人生のドラマを描いた作品だと思います。あんまり恋愛面を期待すべきではないかなと。

本作は北欧5か国(+グリーンランド、フェロー諸島、オーランド諸島)の中から最も優れた映画に贈る「ノルディック映画賞」を2015年に受賞しました。監督の“ダーグル・カウリ”は、2003年に『氷の国のノイ』で長編デビューした、今、注目の北欧映画監督。

主人公と似たような境遇の人には、心にグサッと突き刺さると同時に、ほんの少し前に進む勇気がもらえる一作になるのではないでしょうか。そして、人の身体的特徴をバカにする奴は、本作を100回観て、己の浅はかさを反省してください。






↓ここからネタバレが含まれます↓





北欧映画を好きにならずにいられない

北欧映画は、邦画やアメリカ映画、他のヨーロッパ各国の映画にはない、独特の雰囲気を常に抱えています。本作はおそらく北欧映画を見慣れていない人が観ると「淡白」「説明不足」と感じると思いますが、それは北欧映画全体の特徴でもあります。

色で言うと「青」みたいな、全体がヒンヤリしたシャキッとするような空気感に包まれている感じでしょうか。まあ、白夜があるような寒冷地域ですから、そもそも環境がヒンヤリして、メリハリがないのですけど。その他にも、北欧の国民性が影響しているような気もします。あまり主張的ではない、暗黙の連帯を重視するコミュニティなんですね。

それがそのまま映画にも反映されるのが不思議です。よく北欧と日本は国民性が似ているといいますが、少なくとも映画の傾向は全然違います。本作のような映画が賞を獲るのは、やっぱり北欧、変わってるなと思います。

本作のようなオタク的童貞的中年男が主人公の作品はアメリカにもありますが、全くの正反対。ルックや境遇は同じでも、ストーリーはここまで変わるのかと興味深いものです。

飾り気のない男女

本作は主役のフーシを演じた“グンナル・ヨンソン”が、あまりにも世界観にフィットしすぎている存在感でした。なんでも、彼ありきの脚本だったそうですが、そりゃそうですよね。ちなみに、当の本人はインタビューを見る限り、ユーモアあふれる良い人そうです。詳しくは公式サイトのインタビューを見ると、元気になれますよ。

そして、ヒロインのシェヴンを演じた“リムル・クリスチャンスドッティル”。これがアメリカ映画や邦画だったら、冴えないオタクと対比するような美人を登場させるのですが、本作は違う。失礼ですけど、あんまり美人ではない、10人集まればひとりはいそうな感じ。本作ではフーシと同じく、社会のマジョリティから下に見られるタイプの人間として辛い思いをしていたことが発覚する彼女。これまた現実的です。

こういういかにもわざとらしい飾り気がない、リアルなキャラクターを出してくるあたりも北欧映画らしいですね。

好きにならずにいられない

「オタク=生活力のない人」ではない

フーシは風貌だけでなく、どストレートなくらいのコテコテのオタク。その趣味は「エル・アラメインの戦い」を再現したかなり手の込んだジオラマを作ったり、ラジコンを買ったり、フィギュアを集めたりと幅広い。同じアパートに引っ越してきた少女ヘラに「それは息子にあげるの?」と買ってきたばかりのラジコンを言われてしまい、困惑。この少女との会話は微笑ましくも痛々しくもあり良いです。「どうして大人なのに奥さんがいないの?」とか、言われてもね…。

そんなフーシは、寂しそうにしていた少女ヘラとドライブに出たところ、警察に誘拐疑惑で捕まって、また困惑。明らかに変質者として見ている警察の「どんな遊びをしていたんだ」という質問に「第2次世界大戦ゲーム」と正直に回答。警察も困惑ですよ。シェヴンさえも出会ったときは「尾行したの?変態なの?」と言ってますから、なかなかのひどい境遇。

ただ、フーシがぐうたらな奴なのかというとそうではないのです。

仕事もしてるし、掃除も料理もできる。でっかい体で小さいクレームブリュレにガスバーナーをあてるシーンはミスマッチでキュートでした。オタク趣味についても周囲に迷惑的なものではないですし。

こういうキャラクター、とくにオタクで実家暮らしともくれば、それイコール「生活力のないダメな奴」という見方をされがちですが、それは人を外見で判断しているだけの偏見です。そういえばシェヴンの職場で彼女が鬱なんだとフーシが上司に話すと「それは怠け癖がもたらすもの」みたいに言われてしまうのも、まさに同じ偏見でした。

内面を認めれば、変わる

フーシの欠点はあえて言うなら前に進む勇気がないこと。それは彼の周囲からの扱われ方にも大きな原因があるのですが、それが人の出会いによって少しずつ変化していきます。

最終的にフーシは旅立つわけです。

このオチは、人によってはあっさりしすぎと思うかもしれないですが、ココこそ本作の肝です。本作が提示する“大きな一歩”は、ダイエットするとか、オシャレに気をつかうとか、結婚するとか、そういう表面的な変化ではありません。

どうしても世間は表面上の変化を要求することが多いです。職場の同僚がフーシに童貞を捨てさせてやるとストリップガールと無理やりセックスさせようとする場面とかはその最たる例。これなんて完全にレイプですが、周りは良いことだと思ってるんですね。

本作は内面の変化に焦点を置いています。そして、傷付いている人に一番必要なのは傍にいてあげること。フーシが少女ヘラやシェヴンにしてあげたことはまさにそれでした。その優しさを受けたヘラやシェヴンは、フーシの内面を認めて、後押ししてくれる…こういう支え合いこそが本作の描いたものなのでしょう。

世の中には嫌な奴もたくさんいるけれど、あなたの内面を認めてくれる人もちゃんといるのです。そして、自分の内面を認めてもらうには、他人の内面を認めることから始まるのです。

そういえば、フーシの有給がちゃんと認められるあたりに、日本との歴然とした格差を見せつけられて別の意味で悲しくなったのは私だけだろうか。日本だとこれだけで「なんてすばらしい上司なんだ!」と感激したくなりますが、これが普通なんですよね…。

本作の一番好きなシーンは、旅立つフーシが搭乗橋の窓から下を見下ろす場面。この場面の解釈はいろいろあるでしょうが、私はフーシの趣味のジオラマに重ねたものと受け取りました。彼の世界は間違いなく一室にあった「エル・アラメインの戦い」から拡大したのです。この成長を見せるシーンでも、オタク的趣味へのリスペクトを感じるのは、本作の寄り添う優しさの象徴だと思います。

© Rasmus Videbæk