最初に父が殺された
Netflix映画『最初に父が殺された』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:First They Killed My Father 
製作国:アメリカ 
製作年:2017年 
日本では劇場未公開:2017年にNetflixで配信 
監督:アンジェリーナ・ジョリー 

【個人的評価】
 星 9/10 ★★★★★★★★★

あらすじ

カンボジア。5歳の少女・ルオンは家族と一緒に温かい幸せな生活を送っていた。ところが、突如、街に武装した組織がやってきて、ルオンたち家族も家を出ることになる。そして、幼いルオンが見たものは、あまりにも壮絶なカンボジアの歴史と戦争の一部だった。

ネタバレなし感想

アンジェリーナ・ジョリー監督、ついに…

“アンジェリーナ・ジョリー”といえば、一昔前まではハリウッドを背負う一大映画女優として名を馳せた人でした。そして、2010年代以降は、俳優ではなく映画制作側として監督業にも精を出すようになり、段々とそっちが本業になりつつあります。

しかし、健闘は虚しく、あんまり上手くいっていないようでした。『最愛の大地』(2011年)、『不屈の男 アンブロークン』(2014年)、『白い帽子の女』(2015年) と、これまでの監督作は批評的にはイマイチ。

一方の夫であるブラット・ピットは、俳優から映画プロデューサーへの飛躍に大成功しており、最近もアカデミー賞作品賞を受賞したムーンライトといい、もう絶好調です。

ずいぶん差がついてしまったな…なんて思っていたら、まさかの“アンジェリーナ・ジョリー”監督のこれまでの低い評価を覆す素晴らしい作品が登場しました

それが“アンジェリーナ・ジョリー”監督第4作にして、Netflixで製作された、本作『最初に父が殺された』

本作は実に“アンジェリーナ・ジョリー”らしい作品で、カンボジアの子どもが主人公なんですね。“アンジェリーナ・ジョリー”が俳優・監督業以外にもずっと力を入れてきたこととして、慈善活動があります。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使や特使に任命されたほか、もちろん多額の寄付を集めて支援もしていますし、学校で人権問題を教える講師もしていました。そんな彼女が慈善活動に目覚めたきっかけが、『トゥームレイダー』の撮影でロケ地のカンボジアを訪れたことだそうで、切っても切れない関係。

そのカンボジアの映画を撮るわけですから、まさに自分の最も強いカードで勝負に挑んだようなものです。しかも、ちゃんと内容も人権問題を訴える作品であり、監督として変に背伸びせず、得意なできることで映画作りをしたのが功を奏したのではないでしょうか。

作品の内容は、戦争や歴史に翻弄される発展途上国の子どもが主人公ということで、同じくNetflixで配信されたキャリー・ジョージ・フクナガ監督の『ビースト・オブ・ノー・ネーション』と通じるものがあります。この映画が面白かった人は本作も気に入るはずです。

しかし、違いが一つあって、それは本作は、ルオン・ウンという人の回想録「最初に父が殺された 飢餓と虐殺の恐怖を越えて」を基にした実話ドラマだということ。この主人公の少女は実在するのです。しかも、ルオン・ウン本人も脚本に参加しています。なので、とんでもなくリアリティがあるのは言うまでもないでしょう。

とにかく久々の「観ないのはもったいないNetflixオリジナルの衝撃作」の登場ですから、これは必見です。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

映画の背景にあるカンボジア

本作の感想を語る前に、映画の舞台であるカンボジアの歴史をざっくり整理しましょう。といっても私もよく知らなかったので、自分の勉強のためでもありますけど。

まず、カンボジアという国ですが、太平洋戦争時代は日本に占領もされていましたが、1953年に「カンボジア王国」として独立。王制によって国を統治していました。しかし、隣国ベトナムで「ベトナム戦争」が勃発し、ソ連の支持する北ベトナムとアメリカの支持する南ベトナムによる代理戦争は拡大していきます。このとき、北ベトナムを支持していたカンボジアは、しだいにアメリカによる北爆に巻き込まれる形で空爆を受けるようになり、国内は混乱。ついに、1970年、「クメール共和国」の樹立が宣言され、国は一変します。ところがこのクメール共和国は5年しか続かず、1975年、カンプチア共産党(クメール・ルージュ)を主力とするカンプチア民族統一戦線が首都プノンペンを占領したことで崩壊しました。新たに生まれたのが「民主カンプチア」です。

劇中のルオンの家族は、カンボジア王国時代に父親が政府高官クラスの仕事に就いていたため豊かな暮らしができました。それが激変したのが1975年のクメール共和国崩壊。街を進軍してきたクメール・ルージュの武装勢力に追われるかたちで、家族揃って家を出て逃げ出すところから物語は始まっていました。

なぜあんな風に街の人々が一斉に退去させられたのか? それは当時のカンボジアは深刻な食糧危機にあり、クメール・ルージュは食糧増産を図るため、都市部から農村に人を強制移住させたんですね。都市部の住民は当初はクメール・ルージュを歓迎したそうですが(劇中でも描写がありました)、「米軍の空爆がある」という嘘情報のもと、わけもわからず退去させられました。

そして、このクメール・ルージュというのが非常に極端な思想の持ち主で、農村社会主義とか原始共産制と呼ばれる、要は極左だったのです。具体的には、あらゆる近代文明・科学・宗教を否定して、全員が自給自足生活をする「階級が消滅した完全な共産主義社会」の創設を目指していました

だからルオン一家もあの貧相な集落に強制収容されると、全ての私財を没収されたんですね。

ルオンの父か頑なに身分を隠すように家族に言いきかせていたのは、知識人階級は反乱の可能性ありとして殺害されるため。実際、クメール・ルージュは、国民を「旧人民」と「新人民」に区分して、都市から強制移住された「新人民」は反革命の嫌疑をかけられ、大量殺戮の犠牲となりました。しかも、このクメール・ルージュは、アメリカなどの西側諸国から支持を受けていたため、この大量虐殺が国際的に非難を受けることはありませんでした。

ちなみに、劇中でクメール・ルージュの人員がしきりに繰り返す「オンカー」という単語。これはクメール・ルージュ中枢にいる幹部を指す言葉だそうです。

そして、クメール・ルージュが動かしていた民主カンプチアは、早々ベトナムと国交を断絶、侵攻して、戦争状態に突入します。劇中のルオンが幼いながら兵士として訓練されているのは、このベトナム軍の戦いに備えていたんですね。しかし、ベトナム軍の方が先のベトナム戦争で戦い慣れしていることもあり、圧倒的有利でした。劇中のルオンが兵士訓練を受けて暮らしていたキャンプもベトナム軍に強襲され、なすすべもなく逃走。

ルオンたちが逃げた先にあったのは、ベトナム軍の支配下にある難民キャンプでした。そこで今度はクメール・ルージュ率いるカンボジア軍が襲ってくるわけです。

結局、この「カンボジア・ベトナム戦争」は1989年まで続き、ベトナムにプノンペンを侵攻されたことで亡命政府を結成し、1993年になって昔のカンボジア王国時代の指導者が戻って、今の「カンボジア」になりました。

最初に父が殺された

少女が見た戦争と歴史の不条理

こうしたカンボジアの激動の歴史について、本作では全然具体的には説明されません。なので、観客にとって状況がイマイチ飲み込めず「?」になることが多々あります。とくに私たち日本人は部外者であり、カンボジアの歴史をもともと知らないので何が起こっているかさっぱりです。ゆえにわかりにくい作品だと思う人もいるでしょう。

でも、よく考えてみれば、それは本作の主人公ルオンも全く同じなんですね。

本作が何よりも良くできているのが、全編2時間を通してずっとルオンという少女の目線で、前述したカンボジアの歴史が映し出されていくことです。

主人公ルオンの目には、常に“わからなさ”が映ります。なんか皆騒いで嬉しそう…あれっ怖そうな人たちがやってきた…罵倒されて暴力を振るわれるのはなぜ?…どうして家に帰れず、貧しい暮らしをするの?…大人と同じように働かないとダメらしい…今度は戦争の訓練をしなきゃいけなくなった…この前まで一緒にいた人たちに攻撃されている…なぜ、なぜ、なぜ?…。もうわからないことだらけです。

幼い子どもには到底理解できないであろう、戦争や政治によって、可能性に満ち溢れていた人生が蹂躙されていくこの理不尽。それでも、幼いルオンがそれらを少しずつわかっていく過程が、劇中に随所に描かれており、ルオンの表情や演出によって巧みに表現されています

そもそも幼い主人公だと幼過ぎて受け身なため、映画的なドラマに乗せるにはどうしてもストーリーやBGMで補助線を足すことをしがちです。LION ライオン 25年目のただいまの前半なんかはまさにそれで、良くも悪くもドラマチックで扇情的な作品になるものです。しかし、本作はそういう露骨なことは極力せずに、自然な表情や演出でカバーしていました。

例えば、銃。最初、ルオンは銃が何なのかもわからず、父に連れられ退去して移動している最中の検問を通過した後に聞いた銃声にも「何の音だろう」とキョトンとしています。しかし、自らが兵士として訓練を受け、銃を手にして発砲した瞬間、かつて聞いた銃声がフラッシュバックする。ああ、この音だ、とわかるこのシーンは、演出的にも上手いです。

また、「死」について理解する場面も印象的でした。本作ではルオンの父や母が直接殺される場面が登場しません。でも、諸々の状況から、幼いなりに「あっ、死んじゃったんだ」「もう会えないんだ」とルオンが実感する瞬間が劇中では存在し、そこがまた辛い…

蹂躙を最も感じさせるのはやはり終盤。本作で一番の激しさがある、カンボジア軍に難民キャンプが攻め込まれるシーンです。逃げるルオンたちを追いかけるのはかつて自分が所属していたクメール・ルージュであり、銃口を向けるのは自分と年も変わらないような少年兵、そしてその先の森に待つのは自分も設置していた地雷やトラップ。この瞬間、ルオンは自分が関わったことの暴力性をまざまざと見せつけられます。森で立ち止まったルオンが何を思ったのか。幼い心でもこの不条理に絶望するにはじゅうぶん過ぎたのではないでしょうか。それでも一歩一歩前に進むしかなくて…。

幼いルオンにとって国も思想も関係ありません。終盤で捕らわれてボコボコにされるクメール・ルージュの兵士の姿が父に重なるのも、「みんな同じはずなのに」という幼い、でもそれこそ真理である気持ちの表れなのだと思います。

戦争を幼い子ども目線でのみ描いた映画としては、これ以上ない傑作でした。

©Netflix