エブリバディ・ウォンツ・サム
映画『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Everybody Wants Some 
製作国:アメリカ 
製作年:2016年 
日本公開日:2016年11月5日 
監督:リチャード・リンクレイター 

【個人的評価】
 星 7/10 ★★★★★★

あらすじ

1980年の8月も終わる頃。野球の推薦入学生として大学に通うことになった新入生のジェイクは、新学期が始まる3日前に入寮する。そして、期待と不安を抱えながらも、寮で暮らしている風変わりな野球部の先輩たちやルームメートと共に、新学期が始まるまでの3日間を思う存分に過ごしていく。


これがアメリカ流の入学式?

「お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ」

フランス革命期の軍人にして政治家であるナポレオン・ボナパルトがこんな言葉を残しているとおり、「時間」が貴重なのは現代人でも痛感していることだと思います。「あの時、ああしていれば…」「もっと時間があったら…」こんな後悔や妄想は日常茶飯事。

こういう不可逆な「時間」の断片を絶妙に切り取り、押し花のように保存して、かつての美しさや儚さといった良い部分も悪い部分も全て魅せてくれるのが上手い…そんな監督が“リチャード・リンクレイター”です。

私が好きなリチャード・リンクレイター監督作品はやっぱり『6才のボクが、大人になるまで。』でしょうか。ひとりの少年が大学生になるまでの12年間を本当に12年かけて撮影した挑戦的なドラマであり、ゴールデングローブ賞でも作品賞を受賞した話題作です。「時間」をテーマにしたリチャード・リンクレイター監督作品の集大成的な映画といっていいでしょう。まだ観てない人はぜひ観賞してみてください。

そのリチャード・リンクレイター監督の最新作で、しかも『6才のボクが、大人になるまで。』の精神的続編とも称されるのが本作『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』。結論から言って『6才のボクが、大人になるまで。』と本作は作風や内容に類似した点はどちらかと言えば薄く、むしろリチャード・リンクレイター監督の商業デビュー作『バッド・チューニング』(1993年)に近いです。『バッド・チューニング』はアメリカのとある高校生たちの青春を描いた作品でしたが、本作はその大学生バージョンといった感じですね。

↑マシュー・マコノヒーやミラ・ジョヴォヴィッチなど
今や有名俳優の若かりし姿が見られるのも注目要素。

面白いのは大学生は大学生なんですが、新学期が始まる3日間の出来事しか映画では描かれないところ。アメリカの大学は入学式がないので、ここでいう“新学期が始まる”というのは最初の講義が始まる日。この「高校生でもないし、本格的に大学生でもない」ようなモラトリアム時期はアメリカ特有です。逆に考えると、本作で新入生の主人公が体験する3日間はアメリカ流の入学式と表現してもよいのかもしれません。

登場人物の多い本作、役者陣も素晴らしく魅力的。ほぼ全員が映画界では有名じゃない人ばかりなんですが、皆が絶妙に輝いています。もしかしたら、この中から大作に主演するような人が出てくるかもしれませんし、要注目です。

あなたもアメリカ流の入学式を覗いてみませんか。






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リア充というよりは…

本作の感想で「これはリア充を描いた映画だから、非リア充には共感できない」とか「非リア充を馬鹿にしている」という意見もよく聞かれますが、少なくとも私はそうは思わなくて

もちろん私も本作で描かれるような大学生活を送ったことはないです。というか、本作で描かれるこの乱痴気騒ぎはアメリカ特有の色が強く、大多数の日本人はさすがにこれと全く同じ体験をしたなんてことはない…はず。

では、この映画をどう思ったのかというと。

そもそも彼らが一部の人から「リア充」と呼ばれる理由は何でしょうか。チャラいから? 体育会系だから? パーティをしているから? 酒を飲みまくってるから? ドラッグをしているから? 女とヤっているから?

確かにこれらの行為をしている人を「リア充」と呼ぶなら、そうですかと言うしかないのですが。でも、本作のメインキャラクターである野球部の愛すべきバカたちは、いわゆる「ジョッグス」と呼ばれるタイプとはちょっと違います。あんまり筋肉主義的ではないし、絶対的な上下関係で支配することもない。それどころか、いわゆる「ナード」と呼ばれるような人たち(劇中ではパンクや演劇部の人)ともあっさり打ち解け合い、自身もインベーダーゲームなどオタク的な趣味に興じているのです。つまり、全然ステレオタイプじゃない。そこが私は気に入ってます。

新入生をしごいたりするのですけど、あくまでじゃれ合いレベル。なんやかんやで最後は先輩も後輩もごちゃまぜに騒いでいるだけになります。「リア充」というよりは「幼稚」という言葉がぴったりですよね。

エブリバディ・ウォンツ・サム

一瞬でも充実したい

そして、この幼稚でいられるのは個人の属性ではなく、時間的なものとして位置付けられているのが本作の重要なところです。リチャード・リンクレイター監督はこの幼稚でいられる時期をあえて新学期が始まる3日間に設定して、わざわざタイムリミットを表示することで、不可逆である時間の無情さを強調しています。

つまり本作のあいつらは「リアルが充実している人間」なのではない、「リアルを一瞬でも充実させようと奮闘している人間」なのではと。それこそ「誰もが望んでいること」だと思うし、そう考えると共感しやすい気もします。『スーパーバッド 童貞ウォーズ』のような「モテないオタクな奴ら」を主人公とする作品でも、「パリピな奴ら」を主人公とする本作でも「リアルを一瞬でも充実させようと奮闘している人間」を描いていることには変わりないのではないでしょうか。

しかし、どんなに頑張ってもリアルを充実させられるのは一瞬だけというのが時の定め。時間の無情さといえば、編入生のウィロビーが実は身分詐称していて、いろんな大学を渡り歩いていた30歳だったことが判明します。彼はリアルを一瞬ではなく永遠に充実させようと反抗した奴といえます。ウィロビーの去り際の「今を楽しめ、長くは続かないから」の言葉は、本作随一のシニカルなノスタルジーを感じさせるセリフでした。

野球部の面々もウィロビーみたいにじゅうぶんなり得るのです。もうすでに単位を落として大学に居座っている奴もいましたし。

ジェイクもどうなるやら。ジェイクの物語としては、起承転結の「起」の字の1画目ぐらいしか描いていないわけで、また3日後くらいには彼女と別れているかもしれない…。映画の終わり、最初の講義で早速聴く気がないあたり、ダメそうだなぁ…。

リアルは一瞬だけ充実させるくらいが丁度よいのかも。

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