エル ELLE
映画『エル ELLE』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Elle 
製作国:フランス 
製作年:2016年 
日本公開日:2017年8月25日 
監督:ポール・ヴァーホーヴェン 

【個人的評価】
 星 9/10 ★★★★★★★★★

あらすじ

ゲーム会社のCEOを務める女性ミシェルは、ある日突然、自宅に侵入してきた覆面男に襲われてしまう。何事もなかったかのように今まで通りの生活を送ろうとするミシェルだったが、犯人が身近にいることに気づく。しかし、次第に明かされていくのは、事件の真相よりも恐ろしいミシェルの本性だった…。

ネタバレなし感想

衝撃的な彼女

70歳(当時)のジョージ・ミラー監督が『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を製作したときも、なんでこんな挑戦的な作品をその年齢で生み出せるんだと驚愕したものですが、他にも映画界にはとんでもない“怪物”が存在することを、2017年、思い知らされました。

その名は“ポール・ヴァーホーヴェン”

オランダ・アムステルダム出身のこの映画監督は「奇才」なんて言葉では表現しきれない独自の才覚を持っています。世界中のいろいろな評論家や映画好きが彼を「解釈」しようと必死になるなか、そんな騒音をあざ笑うかのように、我が道を突き進んでいくスタイル。

映画であれば当たり前の「解釈」や「感情移入」を挟ませる隙がないのが“ポール・ヴァーホーヴェン”監督作品の一貫した作風ですが、じゃあ、どうやって鑑賞すればいいのかって話です。ほんと、どうすればいいんだ…。

そんな“ポール・ヴァーホーヴェン”監督は奇才すぎるあまり、ハリウッドでも理解してもらえず、オランダに戻り、『ブラックブック』(2006年)を製作。オランダ映画界史上かつてない莫大な製作費を投じられたこの映画は、歴史大作ドラマの皮をかぶっていながら、中身から“ポール・ヴァーホーヴェン”成分がドロッとこぼれでる作品で、これはこれで凄いなと衝撃だったのですが…。

“ポール・ヴァーホーヴェン”監督最新作である本作『エル ELLE』は、そんなものじゃなかった。それがどういうものなのか説明できないのが、こう、なんだ、もう頭がヴァーホーヴェンだ…(錯乱中)。

圧倒的なのは、タイトルにもなっている「elle(フランス語で“彼女”の意味)」ことミシェルを演じた、主演女優“イザベル・ユペール”の怪演。前評判でも耳には届いていましたが、評価どおり、いや、以上でした。別に奇声とか変顔とかそういう見た目でわかる演技を見せるのではなく、内面の演技力がただただ凄まじい。あとは観て確かめてほしいとしか言えません。

ストーリー自体は割と普通です。あっと驚く展開もなくて…淡々としているくらい。だから、オカシイんです。「普通」なのがとにかく不気味で、観客をずっと落ち着かなくさせます。観る前は監督過去作の『氷の微笑』(1992年)みたいな感じなのかなと思ってましたが、全然違いましたね。

「批評家が衝撃・困惑した」というのも納得。たぶん本作に高評価をつける人はいても、満点をつける人はあまりいないと思います。そういう私も…。これは完全にひよってますね。満点をつけられるほど理解しきった感覚になれず、予防線を張りたくなりますから。

“ポール・ヴァーホーヴェン”監督、79歳で本作を創造できるのですから、本作の“イザベル・ユペール”演じる主人公女性以上に理解不能です。宇宙人なのかな…。






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ネタバレあり感想

ワンダーなウーマンの実体

何より鮮烈に残る本作の主人公ミシェルという女性。

彼女は一言で説明できません。あえて言うなら、ワンダーなウーマンでした。

ゲーム会社のCEOを務めているミシェルは、いわゆる「キャリアウーマン」的な、仕事一筋な女性として世間では立ち位置を得ている感じの人です。まあ、この会社が作っているゲームがゴリゴリのゴアなゲームというのがちょっと変わってますけど。そういえば、“ポール・ヴァーホーヴェン”監督といえば監督作『インビジブル』(2000年)でハリウッド主体のVFXばかりの製作方式に怒ってアメリカからドロップアウトした人ですが、そんな経歴の人が最新作でCGを仕事にする主人公を設定するのも変な巡りあわせですね。ちなみにミシェルをゲーム会社のCEOにするのは、監督の娘のアイディアらしいです。

ともかく、ミシェルのようなタイプの人間は、私たち現代社会が「女性の社会進出」だとかいうスローガンで増やそうとしている女性そのものでしょう。こういう「自立した女性」こそ理想とされています。

ところが、ミシェルは自立している…というよりは“しすぎている”のです。

それはもう冒頭から示されます。レイプという人の尊厳を最大に傷つける行為を受けたすぐに、何事もなかったように割れた食器を片付け、風呂に入り、仕事に出るミシェル。泣きもせず、助けを乞うこともしません。なおも自身の周囲で続く変態的ストーカー行為に、自身で防犯対策を講じ始めます。ここで、催涙スプレーを買うシーンがありますが、これは普通でいいのですが、一緒に購入するのが「アックスハンマー」。えっ、『13日の金曜日』のジェイソンとでも戦うの? この武器チョイス。

こうやって以後も続く「ミシェルやりすぎ行動」がブラックコメディ風に随所に見せられるので、笑っていいやら、恐れるべきやらで、困惑ですよ。

エル ELLE

フェミニズムの破壊か、新生か

突然ですが、本作を観て私はある科学的な社会実験の話を思い出しました。その実験によれば、キャリアのある女性というのは周囲から無意識的に嫌われるバイアスが存在するらしいです。「女性なんて嫌いだ」という差別主義者でなくとも男女性別関係なく「女性がキャリアを持つこと」に否定感情が働くとか(上司にしたくないなど)。

このミシェルも職場の同僚から嫌われるなど、仕事スキルはあるのに明らかに避けられていました。それこそあんな醜悪な映像で笑われるくらいに。

なんで「女性がキャリアを持つこと」が嫌われるのか、私は理屈がイマイチぴんときませんでした。でも本作を観てなんとなくわかった気がします。「女性がキャリアを持つこと」は“自立しすぎている”と見なされて気持ち悪がられるのかもしれないなと。

“自立しすぎている”ミシェル。それが、ミシェルの定型的なキャラクターに当てはまるのを良しとしない姿勢にもよく表れていたと思います。「レイプの被害者」にもなりなくたい、「犯罪者の家族」にもなりたくない、「強い女性」にもなりたくない…。

そんな彼女と対極にあるかのように、男性登場人物は常に何かに「なりたい」とか「したい」と求めている人ばかりです(セックスしたい、父親になりたい…とか)。

本作の男性キャラクターのような、こういう前へ前への姿勢は良きものとして扱われがちです。ポジティブであることは正しいという世間の常識ですから。

対する、ミシェルはネガティブであることさえも受け止めてしまう恐ろしいほどの包容力が武器でした。それこそレイプであろうが不倫であろうが何でも受け入れる。これは「ポジティブ=正しい」という世の中へのアンチテーゼにすら思えます。

ミシェルを演じた“イザベル・ユペール”は本作を「ポスト・フェミニズム」と表現してましたが、確かに既存のフェミニズム価値観を塗り替える(もしくはぶち壊す)パワーはありました。

居心地悪いけど、見てみたい

だからといって本作はミシェル的生き方を正しいものとは提示していないのがまた観客を困惑させます。

ミシェルの「ネガティブ・オール・ウェルカム」な方針は、結局、周囲の人間をどんどん傷つけます(当のミシェルはどこ吹く風なんですが)。最後は息子に殺人をさせるまでに至りますが、それが自分の招いた結果だとは自覚しているのか…。本作の結末を観ると、ミシェルの父がやったという連続大量殺人…あれにミシェルはどう関わったのか、深読みしてしまいますね。

もうひとつ観客を居心地悪くさせるのがです。ミシェルの黒い飼い猫は、冒頭のレイプシーンから登場します。これは「猫=客観的な観察者」であり、それはつまり私たち観客。この猫、ミシェルのレイプをじっと見ていると思ったら、レイプが終わるとそそくさと帰るのです。観客の自分勝手な詮索心を見透かされたようで嫌な気持ちになります。映画だと思って見てるだけでしょ…みたいな…。

ラストシーンはミシェルとアンナが同棲する?的なイチャイチャ感溢れる会話で終わる本作。これは原作の小説(フィリップ・ディジャンの「Oh...」)にはない場面だそうです。なんでも監督いわく「カトリック教会に対する皮肉や批判をこめた」とか。私としては、今までの2時間分のドラマがなかったかのような会話に、置いてかれた気分でしたよ…。

↑原作小説。

本作で、ヒッチコック風スリラーに挑戦したという“ポール・ヴァーホーヴェン”監督。

次の新作『Blessed Virgin(原題)』は、17世紀イタリアに実在した修道女ベネデッタ・カルリーニの生涯を描くもので、仲間の修道女とみだらな行為に及んでいたことが発覚したのがきっかけで宗教裁判にかけられた人らしく、これまた屈折した人間ドラマが観れそうです。

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