ディア・ホワイト・ピープル
Netflix映画『ディア・ホワイト・ピープル』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Dear White People 
製作国:アメリカ 
製作年:2014年 
日本では劇場未公開:2014年にNetflixで配信 
監督:ジャスティン・シミエン 

【個人的評価】
 星 7/10 ★★★★★★★

あらすじ

とあるアメリカの名門大学。黒人への差別を挑発的に白人に主張する黒人女子学生もいれば、白人への怒りではなく調和がしたいと行動する黒人女子学生もいる。また、黒人にも白人にも馴染めず居場所を探す黒人男子学生も…。学内の人種差別をめぐる対立は次第に激化していく。

ネタバレなし感想

人種をめぐるアメリカの大学の実情

「アメリカの大学」は、“さまざまな人種”の人々が集い、共同で生活・学習する最先端でグローバルな場所。そんな憧れを胸にアメリカへ進学を夢見る若者に水を差すつもりは全くないのですけど、残念ながら現実はそうはいかないようで…。

アメリカでは人種問題が今なお渦巻いていますが、それはアメリカの大学でも同じ。というか、キャンパスはアメリカという国の縮図と表現してもいいくらいです。アメリカ全土で起きていることはキャンパスでも起きているし、キャンパスで起きていることはアメリカ全土でも起きる…そんな状態。

こと最近は、ある程度ニュースを見ている人ならご存知のとおり、アメリカでは人種対立がより過激になっている状態であり、とくに黒人への差別や攻撃は目立っています。

このような大学での人種をめぐる学生対立に関して、もっとも現代的視点からその問題を切り取って、ときにシニカルにときにコミカルに描き出した映画が本作『ディア・ホワイト・ピープル』です。監督したのは新鋭“ジャスティン・シミエン”。本作は映画祭で高く評価され、この作品を基に『親愛なる白人様』というドラマシリーズもNetflixで配信されました。

大学での人種をめぐる学生対立を描いた映画といえば、スパイク・リー監督の『スクール・デイズ』(1988年)が有名です。実際、ジャスティン・シミエン監督を「次世代のスパイク・リー」と評価する声もあります(本人はそう呼ばれたくないようですけど)。

本作を観ることでぜひ理解してほしいのは、決して「白人vs黒人」のような単純な問題構造ではないということです。舞台は架空の名門大学で、群像劇スタイルとなっている本作の主人公は基本はみな黒人ですが、それぞれ考えていることや立場はバラバラ。白人を親の仇のように憎む黒人もいれば、不満を持ちつつ歩幅を合わせる黒人もいるし、逆に白人に憧れる黒人もいるし、白人にも黒人にも馴染めない黒人もいる…。問題の当事者たちは表面から見える以上に複雑なのです。

本作はその複雑さをドキュメンタリー的にリアルに描写すると同時に、ちゃんと大衆にもわかりやすいドラマにも転換していて、本当に見事です。

毎年数多くの「黒人を主題にした映画」が公開されている中、私たちはそれらを観て、問題を単純化しすぎて認識し、逆に一方的な偏見を持ってしまっているかもしれない…そんなことを考えさせてくれる一作です。「黒人映画」をたくさん見ているよ、という人ほど本作は絶対に見逃してはならないと思います。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

黒人版スクールカースト

「黒人の友人がひとりいるから人種差別主義者ではないというのは通用しません。黒人の友人の数が2人以上でないと」

「“アフリカ系”と言うのはもはや人種差別です。本当は“黒人”をニガーと呼びたい願望の裏返し。どうせなら正直に」

こんな挑発的な言葉を自分の口から公共で堂々と言い放つメディア部の3年生サマンサ・ホワイトは、「親愛なる白人の人々へ」という校内ラジオ番組で過激な主張を展開する女子学生。「エボニーとアイビー」という本を学内で自主出版するなど他の活動も精力的で、「寮をランダム化する目的は多様性じゃない、集会を開かせないようにするためよ」と黒人学生寮のアームストロング=パーカー寮の方針にも文句タラタラ、ついに勢いで寮長に就任してしまいます。典型的な“こじらせた”過激派思想に染まった人です。「グレムリンは黒人恐怖を描いている」という論文は読みたい…。

そのサマンサことサムに寮長選挙で負けてしまったのは、学生部長の息子であるトロイという男子学生。彼は立場もあって表向きは品行方正で、なんとか父と同じように白人と黒人の中を穏便に保とうとしますが、まあ、世間はこういう人を“中途半端”と見なすもので…。トロイが父にぶちまけるシーンが印象的です。

そしてサムにライバル心をメラメラと燃やしているのが、黒人でありながら黒人嫌いなココ。黒人学生寮を「ニグロの巣窟」呼ばわりして、「私にフッド(低所得者層地域)の臭いはない」と主張。こちらも“こじらせ”具合がなかなかで、YouTuber的なことをしていますがその人気は残念なもので…なんか痛々しい…。後半は金髪で白人に合わせた格好をしてパーティに参加。これは開き直りなのか、それとも…。

最後に忘れてはならないのが、2年生でアフロヘアのライオネル。完全に大学で浮いてしまっている彼。白人はもちろん黒人からも距離をとられ、バカにされています。白人女性学生にただただ無防備にアフロを指でいじられるシーンは笑っちゃいました(黒人のアフロをいじるのは典型的な差別です)。ステレオタイプな黒人にもなりたくないという意味ではココに似ていますが、かといって白人に媚びることもしたくない。じゃあ、お前の立場は?と聞かれても困る。この誰でもなさ。対立にも辟易しているこの感じも共感できます。過激な奴ら同士で勝手に争ってろよ…って思っちゃいますよね…。この疎外感は彼が「ゲイ」だということも関係しているわけで、最後にある大見せ場で彼らしさで反撃するさまは痛快です。

このように黒人版スクールカーストのような黒人の多様性とその争いがメインで描かれる本作は、昨今の黒人映画にはない点であり、興味深く見ることができました。

ディア・ホワイト・ピープル

過敏化するのも考えもの

対する本作に登場する白人キャラクターは散々にダメな人たちばかり。

食堂の舌戦で「高学歴の白人男性が一番困っている」と言い放ち、「國民の再創生」というなんともネーミングセンスゼロな映像作品をドヤ顔で見せる白人学生カートの白人至上主義的な自己中心っぷりも“おいおい”ですし、「人種差別は過去の者だ」と言っちゃう学長も…。

ただ、どうでしょう、私は彼らを馬鹿にはできないなとも思ったり。というのも、劇中で「映画に出てくる黒人はなんで痛々しい過去を背負った悲劇的なキャラばかりなんだ」と黒人学生たちが不満を言うシーンがありますけど、確かに私もひとりの映画好きとして「黒人映画=悲劇性」の観点から評価しがちだったな…と反省。なんというか「差別や偏見を描く黒人映画は素晴らしい」というのは一面的には正しいけど、別の見方をすればそれも偏見なんですよね。難しいなぁ…。

また、本作で描かれているように、ポリティカル・コレクトネスも過激になればなるほど逆にシュールで虚しいというのはまさにそのとおりだと思います。過激というか「過敏」になりすぎなのかな…。

人種問題は日本には関係ないと思うかもしれませんが、こういう過敏化している題材は日本にもたくさんあるでしょう。政治、原発、米軍基地、ジェンダー…とかとか。対立ばかりが煽られ、本質的な議論を見失った先にあるのは本作と同じカオスじゃないですか。対立を煽る情報やフェイクニュースを流すウェブサイトはたくさんあります。アクセスさえ稼げればそれでいいのでしょうか。また、あなたにとっては正当な“カウンター”かもしれませんが、他人から見たらただの“暴力”なのかもしれません。そんな客観視をさせてくれる映画だったと思います。

それにしても本作はそのテーマについて風刺を見事に効かせていて良かったです。BGMがクラシックなのがまたいいですよね。最後はサムが白人男性と手をつないで歩くシーンからの、ダメな大人たちで終わるのも味のあるオチでした(しかもこの黒人学内対立を映画化した本作自身への皮肉にもなっているのがナイス)。

邦画(というか日本人)はこういう風刺は不得意なんだよなぁ…。どうにかならないものかな…。

©Netflix