カーズ クロスロード
映画『カーズ クロスロード』(カーズ3)の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Cars 3 
製作国:アメリカ 
製作年:2017年 
日本公開日:2017年7月15日 
監督:ブライアン・フィー 

【個人的評価】
 星 6/10 ★★★★★★

あらすじ

次世代レーシングカーのジャクソン・ストームにまさかの敗北を喫したマックィーン。やがて周囲ではマックィーンと同世代のレーサーたちは次々と引退。マックィーンもレース中に大クラッシュを起こしてしまう。失意のどん底にいたマックィーンは、仲間たちの励ましもあって再起を決意するが…。

ネタバレなし感想

子どもよりも大人向け?

ピクサーといえば「トイ・ストーリー」シリーズであり、次作となる『4作目』の制作が進んでいます。その「トイ・ストーリー」シリーズに次ぐ、続編がいくつも作られている作品が「カーズ」シリーズです。シリーズ2作目となるピクサー映画が多いですが、「カーズ」シリーズは本作『カーズ クロスロード』で3作目となります。

ちなみに「カーズ」シリーズの世界観を元に、飛行機を主役にした「プレーンズ」シリーズという2作がスピンオフ的な位置づけで制作されているのは意外と知られていません。これを踏まえると関連劇場映画は最多なのですが、「プレーンズ」シリーズを制作したのはピクサーではなくディズニーのスタジオであり、若干黒歴史化しているのでした…。

↑面白いのかというと…うん…。

それはともかく「カーズ」シリーズの話に戻します。

「カーズ」シリーズは、車などの乗り物が擬人化された世界観で、見てのとおり非常に男の子受けがいい作品です。そのためか、お話も子どもにわかりやすいシンプルなものになっています。1作目となる『カーズ』は、若手のレーシングカーであるライトニング・マックィーンが指導者と仲間を得て成長していく、とても王道なストーリーでした。2作目となる『カーズ2』は、メーターというサブキャラクターのスピンオフのような物語となっており、展開も『ミッション:インポッシブル』的なスパイアクション要素が主軸であったりと、1作目とはかなり趣が違いました。『カーズ2』はレース要素が薄く、子ども受けは良い一方で、批評家はイマイチな反応に…。

3作目となる『カーズ クロスロード』はどうかというと、完全にレース映画になってます。下手すると1作目以上にレースしているかもしれない。CG映像の進歩もあってレースの臨場感と迫力が凄いです。

そしてここが本作の肝なのですが、かなり大人向けのドラマになっています。社会である程度キャリアを得た大人なら身に染みて痛感するストーリーでこれ自体はとても良いものです。でも、幼い子どもにはドラマが理解しづらい気がするし、単純なユーモアも薄めなので飽きちゃうかもしれないですね。

大人の方が心にグサッとくるのは間違いないでしょう。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ピクサーが世代交代を描く意義

本作は観れば一目瞭然のとおり、世代交代の物語となっています。1作目で世代交代される側だったマックィーンが、3作目では世代交代する側に回る…1作目の反転となる内容で、シンプルではありますが、王道ですよね。なんというか『ロッキー』シリーズを集約したような感じで、これぞ「The スポーツ映画」というベタさです。

だからといって安直にはなっておらず、そこはさすがピクサー。ストーリーテリングは相変わらずスマート。ピクサーおなじみの事前調査では、アスリートをリサーチしたらしく、引退や世代交代をめぐる葛藤がとてもリアルでした。セリフひとつひとつが本当にキャリアを重ねた人が言いそうな重みがありました。

ブライアン・フィー監督の実体験がベースになっているという本作の物語。ただ、ピクサーという組織自体、『トイ・ストーリー』で成功をおさめた1995年から早いもので20年以上が経過しており、CGアニメーション業界ではもはや老舗といえる存在。ピクサー内でも世代交代は当然あるでしょうが、CGアニメーション業界における世代交代も強く実感しているはずです。日本ではメアリと魔女の花が技術の継承に迫られた今だからこそ作るべき作品になっていたと思うのですが、本作でも今のピクサーだからこそ作るべき状況にある作品だったといえるのではないでしょうか。

カーズ クロスロード

車の擬人化世界への違和感

これは1作目の『カーズ』の時から思っていたことなのですが、「カーズ」シリーズの世界観にややノれないところがあって。というのも、この世界は車などの乗り物が擬人化されており、“人間は存在しない”ことになっています。

『ズートピア』のような動物の擬人化なら、そこまでリアルとフィクションが乖離しないので違和感はないのですが、さすがに車となるといろいろ問題が目立ってきます。それが一番際立ってしまったのが本作なんじゃないでしょうか。

もちろんハンドルなど「人」を連想するものは登場させない配慮は一応あるし、制作側も気を使ってます。でも、本作にも登場したスクールバスの「スクール」って何なんだ?とか思ったりはしますが…。

まあ、そういう細かい部分は良いのです。それがストーリーの鍵となる主軸に関わると困ります。納得いかない人も多いと思われる終盤のレースのオチでしょう。あの作戦はありなのか?と思わずツッコミたくなりますが、劇中でも言っているとおりルール上はアリなんですね。しかし、それは現実の世界だから理解できることでしょう。本作の世界観だとレーサー(人間)が存在せず、レーシングカー自体がレーサーの役割を担っているので、それを“変える”のはどう考えても変です。

他にも、この世界には「死」という概念があるらしいですが、クラッシュしたマックィーンのボディはあっさり回復するので、イマイチ違いというか深刻さがわからないです。世代交代にとって重要な年齢の描写も「車種」でしか表現できないのであまり伝わってきませんし、マックィーンもまだ若く見えます。

このリアルとフィクションの乖離が「ご都合主義」に見えてしまうのも無理ないです。本来は消耗品である車で、人間のリアルなドラマを描くのは、なかなか難しいですね。

商業主義へのピクサーらしい反発

劇中でマックィーンは新しいスポンサーを最終的には拒絶してしまいます。この展開は、厳しすぎるのでは?と違和感ある人もいるはず。新スポンサーのスターリングが言っていることは正しいですから。

でも、本作のような金儲け主義に反対するエピソードを入れるのはピクサーの歴史を知ると納得できるのではないでしょうか。ピクサーはかつて金儲け主義に囚われた暗黒時代のディズニーに、かなり痛い目に遭わされてきた過去があるのです(作品の制作権を盗られたりなど)。

一方で「カーズ」シリーズは車が主役ということもあり、ピクサーの他作品と比べてオモチャやゲームなど商業的な展開で成功をおさめているという事実もあります。おそらく「カーズ」シリーズがここまで続編をつくれたのもそういう背景が後押しになったはずです。そう考えると、劇中でスターリングがマックィーンのグッズで利益を出そうとしているシーンは、かなり自己批判的な色の強い場面だと言えるでしょう。それに対して、マックィーンはレーシングガーとして走っている瞬間こそが利益であると訴え、レース中は子どもの声援に元気をもらっていました。これはまさに、ピクサーが大切にしているのは商業的な利益ではなく、クリエイティブそのものであり、作品を観てくれる人ですよという強い意思表明なのだと思います。

「カーズ」シリーズととも歩んできたピクサー。3作目は、想像以上にピクサーの想いが詰まった作品だった気がします。

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