聲の形
原題:映画 聲の形(こえのかたち) 
製作国:日本
製作年:2016年
日本公開日:2016年9月17日
監督:山田尚子

【個人的評価】
 星 7/10 ★★★★★★★
 
あらすじ

ガキ大将の少年・石田将也は、転校生の少女・西宮硝子をいじめるようになっていた。しかし、ある出来事をきっかけに、硝子は転校し、将也のほうが周囲から孤立してしまう。それから5年、高校生になっても心を閉ざしたままの将也は、硝子と再会する。

「伝えられない」のは皆の悩み

私は「イジメは良くない」という言葉が嫌いです。

そういう表現の裏には、「イジメ」というのは「悪となるイジメを行う加害者」と「弱き善であるいじめを受ける被害者」の2者がいるという認識があるんじゃないかと。私はイジメを善悪で語るのはどうも好きになれません。

私はイジメはコミュニケーション不全の副作用みたいなものだと考えています。

だからイジメをする側とされる側に(もちろん傍観している側にも)境界はありません。

本作『映画 聲の形』は、イジメをしていた少年がイジメをされる側になるという物語ですが、私自身、学校時代にこういう子がクラスにいました。なので、非常にリアルに感じます。

「イジメ」と書くとどうしても難しく考えがちですが、言いかえれば「伝わらない結果」といえるのではないでしょうか。伝わらない、理解できないから暴力や誹謗中傷として露出してしまう。この「伝わらなさ」なんて私たちの日常に溢れています。言葉の壁、文化の壁、宗教の壁、見た目の違い、住む場所の違い、趣味の違い…などなど。

本作はイジメを主題にした映画ではなく、この「伝わらなさ」という普遍的なテーマを描いた等身大の作品である点に好感が持てます。

文部科学省とタイアップしているせいもあって、どうしても道徳の授業で流すような作品っぽい扱いになってますが、そうじゃないと思います。本作をイジメ防止、障がい者理解を普及啓発する映画みたいな重くみる必要は全くないです。

また、聴覚障がい者に対するイジメを扱っているからといって、キワモノのような印象を持つかもしれませんが、それも違うでしょう。この作品は健常者とか障がい者とか関係ありません。皆が自分の気持ちを相手に「伝えられない」という“障がい”を抱えて生きている。それが伝わる、素晴らしい映画でした。

観客の人生経験を問わず、誰しもが共感できる青春映画として観れるので、幅広い世代におすすめできる映画です。

原作をひとつの映画に集約するのは大変でしょうが、ちゃんと映画としてじゅうぶん楽しめる出来だと感じました。


今年の日本のアニメーション映画は『君の名は。』といい、本当に新しい風が吹いていますね。





↓ここからネタバレが含まれます↓




映画が伝える「伝わらなさ」

「伝わらなさ」が充満した青春を描く本作は、それらを安易な善悪論で片づけないのが良いところ。

確かに観客個人それぞれで、こんなのは許せないとか、腹が立つというような行動や態度をとるキャラクターがいると思います。しかし、本作では全員にそうした歪みを持たせています。それはよくあるパターンだと美化されがちな「障がい者」に対しても同じです。本作ヒロインの西宮硝子も、健常者と同じ人間的な弱さ・醜さ・情けなさを内包しており、非常に平等な姿勢が作品から窺えます。

それは少年少女だけでなく、大人たちも一緒です。

本作冒頭、主人公の石田将也が自殺計画をたてていたことが母親にバレてしまい、怒られるシーン。札束を燃やそうとして反省させる場面は、母親のビジュアルもあいまって、いかにもアニメ的な極端な描き方に「あれっ、この映画大丈夫かな?」と心配になったのですが、その後ちゃんと大人キャラクターにも大人のドラマがあって良かったです。

子どもだけでなく、大人の世界にもイジメはあります(でも大人はイジメを“人間関係”と表現して上手く正当化しているだけ)。本作は、大人側のコミュニケーション不全もきっちり描いています。石田将也や西宮硝子の母親はもちろん、石田将也をつるし上げる小学校教師の行動も、「伝わらなさ」の典型例です。

私はどのキャラにも理解できるくらい、丁寧に描けていると思いました。全員仲良しハッピーエンドじゃないのも納得。完璧な人はいない(=皆が“障がい”を持っている)…それを自覚できればじゅうぶんです。互いにそれを自覚した瞬間、もう友達といえるでしょう。

不満を言うなら、もじゃもじゃ頭の永束友宏というキャラに違和感を感じる。いい奴なのはいいんですが、その友情がテンプレというかファンタジーすぎないかなと思わなくもない。

それに関連して、本作最大の欠点はシリアスが強すぎて単調になっている部分だと思います。欲を言えば、シリアス⇒コミカル⇒エモーショナルが交互に繰り返し、テンポよく物語が展開することが理想なんですが…。永束友宏はコミカルさを中盤あたりまで担っていましたが、後半の橋の上で全員集合以降は彼までもシリアスになってしまうので、完全にテンポが消えるのが残念。永束友宏は石田将也の過去と関係ないわけですし、完全にコメディキャラに徹しても良かった気もします。エモーショナルな場面も、とくに意識不明から目覚めてすぐに病院を抜け出すというベタな展開は個人的にはもうちょっと工夫が欲しかったなと。

逆に序盤のイジメシーンは非常にテンポがよく、観やすかったのは上手かったです。映画におけるイジメ演出ってどうしてもとことん描けば描くほどテンポが悪くなるので、本作はちょうどいい感じにデフォルメされているのが良かったのでしょう。

アニメで障がい者を描く

本作のヒロインは聴覚障がいを抱えているわけですが、アニメーションで障がい者を描くのは難しいと思います。

というのも、アニメってキャラクター描写が基本的に極端です。破天荒とか、無口とか、ツンデレとか、いわゆる属性が付けられます。それはアニメなら成立しますが、実写でそのまま描けば完全に障がい者にみえてしまうくらいです。つまり、アニメのキャラは、あえていうなら“障がい者的な”わかりやすい欠点や性格を設定することで、キャラ付けするのがお決まりでした。

そんなアニメの世界で本当に障がい者という設定のキャラを描くと、下手するとキャラの属性に見えてしまい、障がいのリアルさが薄くなるのがアニメ特有の弱点です。

本作で描かれる西宮硝子はその落とし穴を上手く回避し、聴覚障がい者としてきっちり存在していました。これには正直脱帽です。こんな芸当ができるのも、表情や仕草の細かいアニメ表現、そして声優の恐ろしいくらいの演技力がなせる技。アニメーションはこんな表現もできるのかと久しぶりの感覚に浸れました。小学校時代の石田将也と西宮硝子のつかみ合い喧嘩シーンを観れるだけでも、本作には大きな価値があります。このシーンで私がギョッとしたのは、おそらく頭のどこかで「障がい者(もしくはアニメキャラ)」というものをどこかでナメていたからなんだろうなとも思います。
聲の形
本作の山田尚子監督は映画の監督キャリアとしては、これまで『映画 けいおん!』(2011年)、『たまこラブストーリー』(2014年)と2作ともにTVアニメの劇場版でした。しかし、『たまこラブストーリー』のほうは原作のないオリジナル作品で、今作『映画 聲の形』では原作はあるけどいきなり映画単体作品。着実に新しいチャレンジを積み重ねています。次は完全オリジナルの単体映画を観てみたいところです。