何者
原題:何者
製作国:日本
製作年:2016年
日本公開日:2016年10月15日
監督:三浦大輔

【個人的評価】
 星 9/10 ★★★★★★★★
 
あらすじ

親友と続けていた演劇サークルをやめ、就活にまい進する拓人。バンドに学生時代を捧げ、遅れながらも就活に参加した光太郎。海外留学を経験し、実直な性格そのままに就活に臨む瑞月。真面目に就活を攻略していこうとする理香。就活に興味がなさそうに振る舞う隆良。大学生の5人は就職活動をとおして人間関係が徐々に変化していく。

現代就活群像劇の傑作

青春」と「社会人」という2つの言葉は日本独自の表現だと思います。和英辞書を引くと「青春」は「Youth」、「社会人」は「Adult」と書いていますが、この英単語は年齢の若さだけの意味しか基本的にありません。だったら日本語には「未成年」・「成年」という言葉がありますからね。とにかく「青春」と「社会人」という2つの言葉には単なる年齢以上の日本の文化や社会的背景がたっぷり詰まっているのです。

日本人なら誰もが経験する「青春」から「社会人」へのステージアップ。この変身のために多くの人がやらねばならないのが「就活」というイベントです。

この「就活」の現代の姿を描いた本作『何者』は実に日本的な日本にしかつくれない映画であります。

就活の描き方もリアルです。この時代の就活を精密に示した歴史的な資料としても価値のあるものではないかと思うほど。数十年経ったあとに見返したら「昔はこんなのだったよね」となる気がします。

だからといって就活の辛さを描いているみたいな単純な作品でもない。まあ、この映画を観て自身の就活の記憶を呼び覚まされ、苦しくなる人もいるとは思いますが。でも私は、むしろ就活に限らず、現実に生きる全ての人の背中を押す映画、そう感じました。

TwitterなどSNSを駆使するスマホ世代の若者が主役だからといって、自分は年だから関係ないと思うのはもったいない。それに就活してないから関係ないわけでもないでしょう。誰だって自分が何者になるべきか悩んだ経験はあるはず。つい人生を重ねてしまう映画です。

本作を手がけるのは三浦大輔監督。過去作としては監督・原作・脚本をつとめた『愛の渦』(2014年)では乱交パーティに集まる男女、原作・脚本をつとめた『恋の渦』(2013年)ではいわゆる「DQN」と呼ばれる若者たち、それぞれ群像劇が主軸の作品でした。個人的には『恋の渦』が非常におすすめです。


また、原作の朝井リョウは近年の青春映画の傑作と名高い『桐島、部活やめるってよ』の原作者。これもやはり群像劇です。群像劇の上手いこれ以上ないタッグですから、『何者』も完成度の高さを期待してよし。


はっきり言って一般受けするタイプの映画ではないのは確かです。有名若手俳優が総出演するわりに、ベタな青春映画ではないですから。でも、この群像劇にあなたも加わってほしい一作です。





↓ここからネタバレが含まれます↓




「君の名は。」への痛烈なカウンター

君の名は。』が大ブームなこのご時勢をみるとおり、世間は「青春万歳!」「運命最高!」なノリに飢えていることがよくわかります。でもこれって裏返せば「青春」に対する日本人の心残りの表れではないでしょうか。現実逃避しないとやってられないのか、それとも懐古にすぎないのか。どちらにせよ「今」から視線をずらしたいと多くの人が思っているのではないでしょうか。

それに対して本作『何者』は「今」を徹底的に直視させる映画です。どうりで一般受けしないわけですよ。

主人公の拓人のキャラづけが無機質な感じが当初気になりましたが、観終われば納得いきました。例えるなら、拓人は一昔前によくあったRPG(ロールプレイングゲーム)の名前のない主人公みたいなキャラです。誰でも感情移入できるようにつくられた入れ物。RPGの主人公、言い換えるならセカイ系の主人公は、自分が何者かなんて悩みません。悩んだとしても設定上、結局世界を救う「勇者」ということになってしまいます。でも、現実は違った。もしかしたら「商人」だったかも、いや「村人A」かもしれない。想定していない迷いが生まれる。それこそが自我の芽生え。これがセカイ系の主人公ならするはずのない「就活」です。

その点、拓人を演じた佐藤健のセカイ系の主人公から設定を失くしたかのような人形感がにじみ出る演技は素晴らしかったです。彼は『るろうに剣心』シリーズや『バクマン。』など明確な主人公をこれまで演じてきたからこそ、本作にはナイスな配役でした。

「青春が終わる。人生が始まる。」というキャッチコピーはズバリそのもの。セカイ系から卒業しようとする人の物語でした。

批判ではなく応援を

ひとつ言っておきたいのは、本作は決して現代若者やSNSの利用を批判する映画ではないということ。ましてや若者に反省を促すようなものでもないです。

例えば、裏アカウントをつくったり、友人の内定先の評判をネットで調べる行為が登場しますが、これを「悪しきこと」として断罪するようなことは映画ではしていないと思います。

これらの行為は「自分は何者か」という迷いにともなうストレスへの精一杯の対抗手段なんですから。これを禁止したら、彼らは壊れてしまうでしょう。

しかし、映画に登場するキャラクターたちは、これらの行為を「悪しきこと」と思っている後ろめたさがある。これは「何者」になりたいのかはわからないが「良き者」にはなりたいという漠然とした思いからなんじゃないですか。

登場人物が断罪するかのようなセリフを後半連発するわりに、映画自体が断罪しないのは、私は本作に一番感心した点です。拓人の裏アカウントで発した文章が次々朗読されるシーンは、下手な映画だったらいかにも「悪い行為です」的な見せ方になるのですが、本作では演劇と重ねることでそうはなっていない。あくまで拓人の「こんなことやっている俺、恥ずかしい」という感情の表現です。私は拓人に言ってあげたいです、「大丈夫、恥ずかしがらないで、皆経験していることだから」と。本作も全く同じメッセージ性を感じました。

拓人は反省すべきダメな若者の一例ではないです。

拓人はネガティブな部分が暴露される役回りです。でも、光太郎や瑞月といった一見すると良き性格のようにみえる2人さえも、実は映画上では直接描かれていないだけで闇を抱えているのではないでしょうか。光太郎は、自由奔放でお気楽な振る舞いとは裏腹に、瑞月と別れてしまうなど人間関係に歪みを感じさせます。瑞月は、素直で無垢な雰囲気を漂わせながら、理香や拓人など“できる”人に乗っかって依存するズル賢さが見え隠れします。光太郎と瑞月は、自分の負の側面を拓人になすりつけてしまっているとも解釈できます。拓人は人に頼られ過ぎです(終盤は隆良にさえ頼られていました)。

そんな苦労人ゆえにネガティブ要素が集約されてしまう拓人の、実は持っているプラスな面。それこそ、劇中で姿をみせない烏丸ギンジです。烏丸ギンジは、拓人の裏返し。拓人自身は嫌っていましたが、ブログの仰々しい文章の数々や、就活性を励ますかのような演劇は、拓人の隠れた想いでもあったはず。拓人も本当は応援したかったのでしょう。でも、応援するのも恥ずかしい…これぞ人間らしいめんどくささです。
何者
面接試験を終え、企業ビルの出口から外へでる拓人の背中を映すカットでこの映画は終わりますが、この映画が背中を押していることの表れと受け取りました。その先は実にさわやかでした。内定を貰ったキャラがさわやかに描かれていないのとは対照的です。

「自分は何者か」という探求は「就活」に限らず永遠に続きます。

烏丸ギンジの言葉を借りるなら、「皆、頑張れ。私も頑張る」。