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『オデッセイ』感想(ネタバレ)…かがくのちからってすげー!

オデッセイ

かがくのちからってすげー!…映画『オデッセイ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Martian
製作国:アメリカ(2015年)
日本公開日:2016年2月5日
監督:リドリー・スコット
オデッセイ

おでっせい
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『オデッセイ』物語 簡単紹介

火星での有人探査の最中に突発的な嵐に巻き込まれたワトニーは、仲間たちも緊急脱出して火星を離れてしまい、負傷して目を覚ますと自分だけが火星に放置され完全に孤立したことを悟る。それでもワトニーは、生存するにはあまりにも絶望的環境で、4年後に次の探査船が火星にやってくるまで生き延びようと、自分の科学知識を総動員して、あらゆる手段を尽くしていく。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『オデッセイ』の感想です。

『オデッセイ』感想(ネタバレなし)

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科学にもう一度憧れを

『スター・トレック』『スター・ウォーズ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といった映画たちは語るまでもない屈指の名作ですが、あえてこれらの映画に共通する凄いところをひとつ挙げるなら科学への憧れを呼び起こしたということが挙げられます。「この映画を観て科学者を志しました」という人は数多です。科学技術に支えられた今の社会があるのは、これらの映画のおかげといっても過言ではないと、映画好きとしては断言したいところ。

では近年の映画界でこのような作品はあるかというと、“ない”気がします。これは、科学が発達しすぎて日常化したため理想を描けなくなったという理由もあるでしょう。ただ、私は人々が科学に対して憧れよりも危険を抱くようになってきたのではないかとも思います。インターネット、遺伝子組み換え、STAP細胞、原発…メディアから批判されるようなネガティブな印象が目立つ科学の話題も確かに多い。この世論に対応するかのように、映画も科学への警鐘とか、暴走した科学によるディストピアを描く作品ばかりです。世の流れなんですかね。

それももちろん大切だと思うのですが、でもそれだけでは科学を良い方向へ導けないと思うのです。やはりあらためて科学の「良さ」を描くことが必要なんじゃないかと。

そんなふうに思っていたら、本作『オデッセイ』の登場です。

個人的にこんなにもテンション高まる映画はないくらいドハマりでした。劇中に登場する全ての人物が科学の良さを示してくれます。とくに良いと思ったのは、将来的な未知の科学技術(タイムマシンとか宇宙旅行とか)を夢想するかたちで科学の良さを示すのではなく、もっと普遍的な科学の良さを示している点。この変に専門的な領域には踏み込まない普遍性こそ本作の特徴で、ゆえに科学なんて関係ない普通のサラリーマンが観ても共感できると思います。

脚本をつとめたドリュー・ゴダード(過去には『クローバーフィールド/HAKAISHA』の脚本、『キャビン』の監督・脚本を担当)は、本作を「科学へのラブレター」だと表現していました。まさにそのとおりの映画です。

本作を監督したのは、『エイリアン』や『ブレードランナー』の巨匠リドリー・スコット。科学技術の栄枯盛衰を長年見てきて描いてきた彼だからこそ、本作を作れたのではないかとも思ったり。

あらすじだけ読んで、本作を単なる遭難サバイバルものの映画だと思っているなら、損です。

科学に憧れなんて全くない大人たちにぜひ観てほしい。大人が科学の良さを知らないと、子どもたちに科学の良さなんて教えられないですから。

もちろん、現役の科学者も観れば、社会の荒波に揉まれて自分の中でくすぶっていた純粋な科学への憧れがまた燃え上がるはずです。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『オデッセイ』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):火星で生きてみせる

火星。アキダリア平原と呼ばれる赤褐色の大地。そこで探査船「アレス3」のクルーたちはサンプルを採取していました。火星への有人探査計画として重要なミッションです。

メンバーは、指揮官兼地質学者のメリッサ・ルイス、操縦士のリック・マルティネス、システムオペレーター兼原子炉技術者のベス・ヨハンセン、航空宇宙医師兼生物学者のクリス・ベック、天体物理学者のアレックス・フォーゲル、そしてエンジニア兼植物学者のマーク・ワトニー

火星上昇機(MAV)は準備万端で地球に変える用意は整っています。そのとき、ラボでの警報を確認。予測以上です。一同は任務中止を決断するか悩みますが、船長のメリッサは中止を決め、指示を出します。

全員がMAVに向かおうとしますが、外は凄まじい嵐で視界は絶望的。なんとか前進します。早く進まないとMAVが倒れてしまいます。しかし、ワトニーに何かが激突し、吹っ飛んでしまいました。ワトニーの信号は途絶。どこにいったか不明に。

このままでは全員が取り残されてしまいます。船長単独でワトニーを必死に探しますが、全く見つかりません。死んだということにするしかない…事態は急を要するので船長の到着を待ちしだい、すぐに離陸。なんとか成功し、MAVは火星の地を離れました。仲間をひとり置いて…。

NASAではテディ・サンダース長官が悲しい知らせをマスコミに発表していました。

「マーク・ワトニー宇宙飛行士は脱出中に破片に当たり、死亡しました」

その頃、火星。静かになったその地で、砂に埋もれたスーツが一体。おもむろに起き上がるのはワトニーです。彼は生きていました。危険な酸素レベルだと警報が鳴っており、自分の腹に破片が突き刺さっているのも確認。激痛に耐えつつ、基地へ歩いて向かいます。

ワトニーはすぐに自分で応急処置を実施。破片を体内から摘出します。

その後、ワトニーはビデオログを残します。

「生き残れなかった時のためにこの日誌を残す。今は火星日(ソル)19。僕は生きている。でもクルーやNASAはびっくりするだろう。サプラ~イズ」

通信アンテナが壊れたのでNASAとの交信手段なし。次の有人機が来るのは4年後。このハブの耐用期間は31日。酸素供給器や水再生器が壊れたら死ぬ。ハブに穴が開けば減圧で爆死。そもそも食料も尽きる。絶望的でした。

ワトニーは途方に暮れます。死が迫っていました。いや、ここで死ねない。

何かできないか考えることにします。食料を数えてどれくらい持つのか計算。トイレをした後にふと思いつきます。ジャガイモがある。食料を切り詰めれば400ソルは持つかもしれない。だから3年分の食料が新たにいる。そこでこの不毛の惑星で食用植物を育てよう。

自分の持てる科学力をフル発揮して、ワトニーはジャガイモ栽培に全身全霊を賭けます。これが達成できるかで、生死が決まるのです。頼れるのは自分ひとりだけ。

宇宙で最も孤独なジャガイモ育成の始まりです。

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オタクは世界を平和にできる!

『オデッセイ』の描く科学へのポジティブさは、映画でひときわ強調されています。本作の原作は『火星の人』という小説ですが、原作はもっとシリアスな展開が多いです。それに加えてコメディも多いのも特徴。つまり、原作小説はドタバタ感を楽しむ感じになっています。一方の映画では、そのシリアスとコメディの落差を薄め、エンターテイメントとして面白くしています。とくに音楽の力が大きいです。「Starman」から「Love Train」までの流れは、曲の歌詞とシーンがマッチしていて、個人的には感涙…。

では、本作が科学をどう描いているか? 原作小説とは科学の描き方が違います。私なりに感じたことを簡単に説明したいと思います。

本作は、火星に取り残されたマーク・ワトニー、地球で対応に追われるNASAの職員たち、火星から地球に帰還途中のアレス3のクルーたちの、3つの視点に分かれています。これら3つの視点が上手く絡みあっているのが本作のストーリーテリングの魅力です。

まずはメイン主人公のマーク・ワトニー。最も過酷な状況に陥る彼ですが、実際のところは最も生き生きとしています。彼がどうしてこうもポジティブなのか? こういう孤独下で絶体絶命に陥ったときに真っ先に人がすがるのは「宗教」です(今年観た映画だとサウルの息子がそうでした)。ところが本作のマーク・ワトニーは無宗教なのか、熱心なキリスト教徒のクルーの残した木の十字架をジャガイモ育成のための火種として燃やしてしまいます。神に祈る気は全くありません。これだけでわかりますが、本作はマーク・ワトニーのキャラ付けが極端です。このマーク・ワトニーは、完全な科学にどっぷりつかった言わば「科学バカ」として描かれています(一応、専門は植物学とエンジニア)。熱中できるもの(マーク・ワトニーの場合は科学)さえあれば絶望しない。むしろ火星では他人も世間の目もないので科学に没頭できる。そういう環境だからこそ、彼の科学バカっぷりが全面にでてきます。この火星編では、科学の良さを「知識や技術」よりも「熱中できるか」で描くのが良いですね。

一方の地球のNASA側。こちらは火星のマーク・ワトニーとは打って変わって、巨大な組織の中における科学の良さが描かれています。NASAでも問題山積みです。チームで合意形成をどうとるか、役職や専門など立場の違う人々をどうまとめるか、メディアにどう対応するか、資金をどう工面するか、キャリアとどう折り合いをつけるか…。これらの悩みは科学者でなくとも組織で働く大人なら「うんうん」と頷けると思います。そもそもNASAなんて研究機関でもありますが、それ以前に政府組織です。行政的な組織のしがらみも当然あります。この組織がまとまることができたのはなぜかといえば、「マーク・ワトニーを救う」という目標があったからです。そして、そのための手段がやはり科学でした。NASAの面々は、役職・経歴・専門・国籍・人種等が違えど、科学だけは信頼している…だから一致団結できていました。このNASA編では、科学はコミュニケーションのツールとして描いています。

続いて、アレス3のクルーたちは、一番揺れ動いている立場にあります。マーク・ワトニーを置いてきてしまった罪悪感に苛まれるわけですから。そんな彼らにやり直しのチャンスを与えるのも科学でした。

「科学者」というとカッコつけた言い方になりかすが、要するに「オタク」です。マーク・ワトニー、NASAの職員たち、アレス3のクルー、いずれもオタクっぽい描写が本作では意図的に挿入されていました。本作は科学を難しく描かず、好きという想いの極みとして描いているのが素晴らしいと思います。

それが一番よくわかるのは、NASAが中国の宇宙開発機関と協力するシーンです。このシーンは中国市場に媚びているわけではなく、政治的対立している立場でもオタク心は同じなんだということでしょう(原作小説ではそれがよりわかりやすく描かれています)。

本作は、端的に言ってしまえば科学バカなオタクたちが世界をまとめるお話しです。この映画で示された、科学が「こういう姿になればいいよね」という理想…本当にこうなればいいのになぁと私も思いを強くしたのでした。

『オデッセイ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 91% Audience 91%
IMDb
8.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 10/10 ★★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved

以上、『オデッセイ』の感想でした。

The Martian (2015) [Japanese Review] 『オデッセイ』考察・評価レビュー